FM三重『ウィークエンドカフェ』2014年3月29日放送

南伊勢町東宮出身の河村瑞賢は、郷土の誇り。
13歳まで東宮に住んでいたと言われています。

西廻り航路と東廻り航路の開発、そして大阪の淀川河口の改修工事は、物流の拠点作りに大きく貢献し、天下の台所と呼ばれるまでにしました。

しかし、意外にも三重県の人たちには河村瑞賢はあまりよく知られていないそうです。

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今回、南伊勢町の歴史について教えてくださったのは、『南伊勢町東宮資料保存館』の仲西栄助さんです。
東宮といえば、江戸時代の豪商、河村瑞賢の出生地。
『南伊勢町東宮資料保存館』には、瑞賢の功績が大きく描かれています。

■お盆のナスやきゅうりを漬物にして販売することからはじまった、河村瑞賢の商人人生

河村瑞賢は若い頃はとても苦労したそうです。
江戸で車力をしていましたが鳴かず飛ばずで、江戸を後にし、大阪に向かおうとしたらしいです。
しかし小田原で、あるお坊さんに出会い、「お前、今のままでは上方(大阪)へ行っても同じだ」と諭され、もう一度江戸に戻ることにしたそうです。
そして品川まで戻ってきた時に、お盆で川に流されてきたお供え物のキュウリや茄子を発見。
まだまだ捨てるのはもったいないと、近所の人たちに幾ばくかのお金を渡して拾ってもらい、漬け物にして販売したところ、大評判に。
それが漬け物商法の始まりとなったんです。
とにかく発想力がすごい。
さらに判断がとてもスピーディー。

漬物商は見事に成功し、手や商品が足りず、江戸からお父さんやお手伝いを呼んだほどの大繁盛となりました。
そのうち、役人に河村瑞賢のすごさがわかってくるわけなんですね。

■材木商から海路の開拓へ

河村瑞賢は木材を現地で買い付けし、自分が見て良いと思ったものしか仕入れませんでした。
そのため、瑞賢のところに行けば良い材料が入る、と評判になっていったのです。
商売に関して、先見の明があったんですね。
お金持ちを相手に商売していくという、庶民からは少し離れた商いであったようです。
やがて1657年、江戸で明暦の大火がありました。
火事が起きた朝、西風が吹いたのを感じた河村瑞賢は、大火事になるのを予測し、いち早く手代を連れて木曽へ行き、材木の交渉をしたんです。
もちろんその前に顔つなぎと言うか、山持ちの人と面識があったので、トントン拍子に買い占めは成功。
家にあるだけの財産を投げ打って商売に出ていくわけですが、その後は信用買いというか、売れてからで良いよ、という約束をしてもらって。

河村瑞賢は航路を開拓した、土木工事をした人というので、技師や監督などだと思う人も多いのですが、実際はこうした商売人なんです。
商売は大成功して大金持ちになり、江戸の材木商の筆頭くらいになっていました。
「宵越しの金は持たねえ」みたいな感じで、お金の使い方も荒かったみたいで、豪快な人間だったみたいですね(笑)。

材木商はいろんな仕事をするんです。
土木関係の仕事、その日仕事もどんどん入ってくる。
でも河村瑞賢は依頼されることすべて、うまくやってしまう・・・器用なんですね。
その仕事ぶりを見て、幕府から舞い込んだ大きな仕事が、西廻り航路と東廻り航路の開発。
年貢米を集めながら江戸へと運ぶのですが、大きな船を仕立てて、全部海運にしました。
これで陸上を運んでいた時代よりも、運送にかかる日数を大幅に減らすことができたんです。

■地震とともに暮らすための知恵

この300年の間で、とても大きな被害を受けた地震は、1707年の『宝永の大地震』。
このときに起こった地震というのは東海・東南海地震と南海地震で、三連動と言われています。
同時多発の地震では、ものすごい被害が出るわけです。
東海地震の震源地は愛知寄りだったらしく、津波が来るのが早かったそうです。
南伊勢町の一番西である古和浦を含めた近隣では、83名の人が亡くなったと記録されています。
その後、三十三回忌の供養をすることになり、みんなでお金を出し合って、甘露寺『宝永津波死者供養碑』を建てました。
その碑には「地震が来たら近くの山に逃げなさい、そしてしばらく降りてはいけません」と書かれている。
村の人は、自分たちが実際に被災したからこそ、後の世の人たちが同じ目に遭わないようにと、この碑を建てたんですね。
これは素晴らしいことだと思います。

江戸の末期に起きた安政の大地震の特徴は、その年のはじめから近隣で大きな地震が起こっていたことです。
6月には伊賀から奈良にかけてとても大きな地震があり、大火も出たため、2000人ほどが亡くなっています。
その地震は真夜中に起きたのですが、このあたり(南伊勢町)の人たちは、すぐに山へ逃げているんです。
古和浦の人たちは8日間、神前浦でも4日間ほど降りなかったそうです。
古文書に「山に逃げた」と書かれているのは、この2つの浦。
いずれも津波が来たら大災害に遭うという地域なので、地震の規模や震源地がわからなくても、地震が来たら逃げるということが意識に組み込まれていたんですね。

●南伊勢町東宮資料保存館

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河村瑞賢について、また災害史について学ぶことが出来るのが、『南伊勢町東宮資料保存館』。


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さらにこちらでは、南伊勢町で出土した土器なども展示され、その歴史の深さをうかがうことが出来ます。


南伊勢町東宮資料保存館
住所 度会郡南伊勢町東宮



南伊勢町の旅を、さらに楽しむなら・・・

●とよや勘兵衛

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迫間浦を見下ろす高台にある白い外観が目印。
ゆったりのんびり湯につかり、雄大な湾を眺めるもよし、釣りを楽しむのもよし、そして無料ボランティアガイドの「礫でそぞろあるき」をするもよし。
南伊勢の自然の中で、大切な休日を楽しんでもらいたい宿です。

基本情報はこちらとよや勘兵衛