FM三重「ウィークエンドカフェ」2010年4月17日放送

今日のゲストは、写真師の松原豊さん。
ずっしりと大きくて重いカメラを肩に下げ、かつて『村』だった地域を訪ね、その写真を撮り続けています。
『写真家』ではなく『写真師』と名乗るのはなぜ・・・?

■村の記憶とは?

平成の大合併で2006年かな・・・。
69あった市町村が29市町になって、三重県から『村』が消えてしまったんですよ。
そこで、消え行くある、村の姿を記録に残そうと思ってはじめたのが『村の記憶』です。

カメラを片手に9つの村をゆっくりまわってね。

でも、行ってみると、意外と住んでいる人の生活は変わっていなかったりするんですよ。
逆に、結構ちゃんとお祭りもやっていたり、その村ならではの行事ごとも続いていたり・・・。

何ていうか、平成の大合併まで残っていた村、つまり地域は、そもそも、結びつきが強かったから残っていたんですよね。

だから合併したからって、急に何かが変わるってことはないと。
そういうのも含めて、今と過去が同居しているありのままを撮ろうと。

けれどもちろん、そうじゃない地域もありました。
「跡継ぎがおらん、もうどんどん人がいなくなっていく・・・」と嘆くお年寄りの話も聞いたし。

でもね、色々な村を回っているうちに、他の・・・都会の人とかが、そういった地域に移り住んで、村の文化を継承していく・・・そんな明るい予感も見えたりしました。

■『写真師』と『写真家』

・・・写真師ってのは、この『村の記憶』を撮っている間に名乗り始めたんです。

『写真家』って言うと芸術家っぽいでしょ。
でも、僕が撮っているのは『記録』なんで、もっと職人的というか。
特に『村の記憶』に関しては、昔ながらの4×5インチの大判モノクロフィルムを使っているので、昔の写真館のように、撮られる人は動かないでいてもらうんです。そんなところも技師っぽいかなあと(笑)。

あと、個人的になんですけど、『写真家』っていうと被写体との距離があって、『写真師』だと、撮られる側に寄り添っている気がするんですよ。

■写真との出会いは?

小学校5年生のとき友達になった子のお父さんが、大工さんなんだけど暗室を持っていまして。
今考えると道楽者だったんでしょうね(笑)。

見せてもらった暗室の、暗さとか赤いライトとか現像液のツンとする匂いとか・・・そんなものに興味をそそられて、そのお父さんに写真の手ほどきをしてもらったのがはじまりです。

一番好きなのは、現像液に光を当てた印画紙を浸して、絵がもわもわ~・・・と出てくるところ。
印画紙に光を当てる秒数での違い・・・濃くなった薄くなったり・・・そのバランスをどうするか、と試すプロセスがめちゃめちゃ面白いんですよ。

■どうして古民家暮らしを?

2004年、名古屋から現在住んでいる美里町に移住してきました。
奇しくもここもかつては村で、住んでいる途中で『町』に変わった、まさに『村の記憶』の舞台ですね(笑)
越してきた理由は、やはり子供は里山・・・自然の中で育てたかったというのが大きいです。
何軒か見て回った中でここに決めたのは、里山に囲まれていて、山がすぐ裏に迫っていて。
「道がこの先はもうない」みたいな、奥まった最終地みたいなのが好きなんです(笑)

今住んでいる家は、築70年。
僕は長持ちするものが大好きなので、何でも、一度使い始めたらとことん使います。
道具も家も、傷んできたら手を入れながら使う。
手を入れることで味わいが増して、もっともっと愛着が湧いてくるんです。

風通しの良い縁側でコーヒーを飲みながら、一日のスタートを切るって最高ですよ!