FM三重『ウィークエンドカフェ』2014年8月9日放送

今日のウィークエンドカフェは、大紀町文化財調査委員の中瀬秀夫さんをお迎えしました。
中瀬さんは大紀町打見のご出身。
現在は大紀町の文化財調査委員として史跡の案内や講演活動を行っています。
歴史を楽しむ。これが中瀬さんのお話のテーマ。
大紀町を訪れる人や町内の人に、この町のいろんなことを楽しく話してくれます。

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■子どもの頃から本好き・歴史好き 

小学生の頃から、無類の本好きでした。
先生から、「お前は図書室ばかりにいるから図書委員をしなさい」と。
それで2〜3年図書委員をしていました。
中でも歴史が好きでしたね。

自分の住んでいる郷土史を調べようと、図書館通いを始めたのが50歳くらいから。
もう、20年ちょっと経っています。
古文書や町村史の古いのを読んでいると、あまり知られていない情報があります。
それが面白いし楽しいというか。
人が知らないことを自分が知ると、今度は人に伝えていきたいと思いますし。
それに事実はやはり、作った話よりも面白い。
それが郷土史の面白さだと思いますね。

最近役場の方からの依頼で私の調べた情報が、TVや新聞の史跡案内にも活用され。
20年かけて培ってきたものがようやく実り、やっと人のお役に立てるかな、と。

一番初めに調べようと取り組んだのは、瀧原宮をはじめとした史跡ですね。
郷土にあるもの、古い書物を調べにかかりました。
またそれとは別に、自分の上の世代の方から郷土のことを聞いて、自分で勉強しています。
私が聞きはじめた時の先輩はもう、90歳や100歳で、亡くなった方もいらっしゃいます。
自分が郷土の歴史を溜めておいて、若い人に聞かれたら伝えようと。
自分が中継地点となり、郷土史のバトンタッチができたら・・・そう考え、たくさんの人に話を聞こうと、方々歩きました。


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■『滝原』から『野後(のじり)』という地名になった理由

『滝原』という地名は倭姫命の伝説から始まって、その頃は『大河の滝原の国』と呼ばれていたそうです。
その『滝原』という地名を、途中で『野後(のじり)』という地名に変えたんです。
なぜ変えたのかというと『瀧原の宮』という大きなお社があって、村の名前も『滝原』。
お社の名前と同じでは畏れ多いので、違う名前を考えようと。
それが『野後(のじり)』。
なぜその名前になったのかというと、大内山川の上流に『大滝峡』というところがあります。
『おんべまつり』をする場所ですね。
そこに『長者野』というとても歴史の古い場所があるんです。
天照大神が滝原に祀られる以前から、歴史があるという言い伝え。
滝原はその『長者野』の後ろになる。
大内山川は『長者野』の方が上流ですから、『滝原』は下流。
『滝原』が『長者野』の後ろにある、ということで『野後(のじり)』と呼びましたが、元々はの文字は『野尻』と書いていたそうです。
『野尻』を『野後』に変えたのは、300年前ほどの元禄年間だったと言われています。

しかし昭和31年、町村合併で旧七保村と滝原が合併し、大宮町ができた時に、元の『滝原』に戻されました。
神様が畏れ多い、とかいう時代でなくなったんですね。
けれど今でも高齢の方は、瀧原宮で行われる10月の秋季大祭を『のじりさん』と呼びます。
『のじりさん』という名前のお菓子もあるくらい、親しまれた名なんです。


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■瀧原宮は別宮の中でも特別

瀧原宮は別宮の中でも特別だと言われています。
まず、外宮・内宮以外で一番広く、44ha。
また、別宮の中でも一番古く、歴史があります。

『元伊勢』というのがありますよね。
倭姫命は最終的に今の伊勢宇治へ到着しましたが、大和を出発して巡行されてきているわけです。
最初は大和の宇陀郡辺りから伊賀に入られて、近江の国、美濃、尾張、それから伊勢に入られた。
桑名・四日市から南下してきて、最後に宮川をさかのぼり、滝原に立ち寄られたんです。
滝原に見える前に、すでに何十ヶ所か『元伊勢』があるんですよね。
そういう由来があって、たくさんのお宮さんが作られた。
奈良県、滋賀県をはじめ、京都にまであります。
しかし、『元伊勢』で別宮になったのは、瀧原宮のみです。

※元伊勢・・・伊勢神宮が現在の場所に鎮座する前、倭姫命が巡行し一時的に祀られた神社。


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■瀧原宮の前にある『足神さん』は熊野詣での足の神様

熊野街道を歩いていくと、滝原の入り口に『足神さん』という石のご神体があります。
昔の人は歩くしか交通手段がありませんでしたから、足が痛くなったら旅は終わりです。
足が痛くならないよう、痛くなっても早く回復でき、旅を続けられるよう・・・そんな祈りを込めてお参りしたんですね。
昔は、旅先で倒れると帰れない、いわゆる『行き倒れ』も多かったそうで、供養碑もたくさん残っています。

熊野古道は田丸から熊野までで、最初に宮川を渡るのが『三瀬の渡し』。
対岸は大台町の下三瀬というところです。
『三瀬の渡し』を船で渡って、多岐原神社に立ち寄って、三瀬坂峠を越えると、瀧原宮です。
瀧原宮に来るなら三瀬坂峠は欠かせない峠ですよね。
近いですし、250〜260mの高さですから、誰でも登りやすいですし。
しかしあまり知られていないんですよ。
世界遺産(熊野古道)の範囲が広がれば、もっと知られるようになると思うのですが。
一般の人でも登りやすく峠道の雰囲気を味わうことができる、手頃な良い峠です。

大紀町には他にも熊野古道の『ツヅラト峠』があります。
くねくねとしている『ツヅラ折り』が名前の由来となっており、道がくねくねとしています。
ここを越えると海が見えるのが、熊野古道の見どころの一つです。
最初に熊野灘が見えるのがツヅラト峠。

昔の人も、古道を歩いていて、突然景色が開けて海が見えたら、そりゃあ感動したでしょうね。