三重県グリーン・ツーリズムネットワーク大会in熊野に講師(!)として参加することになったサルシカ隊長。
熊野の魅力を全身で感じようと、事前の体験ツアーに参加!
人口わずか5人の須野で感じ、そして得たこととは!?
サルシカ隊長のオクダですに。
むふ。
あのね、普段秘密基地やら野山で遊んでばかりで、夜になるとお酒を飲んで騒いでばかりいるワタクシだけれど、たまには人前で講演なんてものをしたりするんだよ。
「そうだそうだ、あのサルシカの隊長とやらを呼んで話を聞こうじゃないか!」
なんて考えつく奇特な人がいたりするのであるね。
ありがたいことです。
今回、ワタクシが呼ばれたのは、「第3回三重県グリーン・ツーリズムネットワーク大会 in 熊野」というイベント。
県内を中心としたグリーン・ツーリズムの実践者や関係者が一堂に会し、互いに連携、交流を深めることで農山漁村の魅力を再発見するとともに、新たな魅力を県内外に情報発信することを目的としているのだそうだ。
今回で第3回を迎え、世界遺産登録10周年を迎える熊野で開催されることになったのだ。
ワタクシはなんとそのなんとも重要な大会の基調講演をやらせていただくのだ。
基調ってさ、「思想・行動・学説・作品などの根底にある基本的な考え・傾向」ってことだよ。
ワタクシが話すことを、根底にある基本的な考え・傾向にしちゃっていいのであろうか。
ワタクシ自身が不安になる(笑)。
ま、というわけで、いつもの相棒である写真師マツバラを伴って、三重県の県庁所在地津市から車で2時間ほどのところにある熊野へと向かったのであった。
集合場所は、熊野市街から少し離れたところにある山崎運動公園駐車場。
その一角には受付が設けられており、たくさんの人が手続きをしていた。
実は講演は翌日で、きょうは参加者全員で熊野の魅力を体感するツアーに出かけるのだ。
ツアーは5つあって、事前に好みのコースを選ぶようになっていた。
こうしたグリーン・ツーリズム体験によって熊野を知り、その上で交流会や意見交換をしようというのが主旨であるらしいので、ワタクシも一般の人といっしょに参加させてもらうことにしたのだ。
コースを紹介すると、
第1分科会 須野コース(熊野市須野町内)
「箱庭のまち」と例えられる熊野市の須野を歩きます。
第2分科会 松本峠コース(熊野市木本、大泊町)
熊野古道・松本峠。美しい石畳が残る峠をガイドとともに歩きます。
第3分科会 御浜コース(御浜町坂本地区内)
熊野古道の横垣峠と、美しい田園風景が広がる紀州犬発祥の地・阪本地区を、町内の地域おこし実践者の案内で散策します。
第4分科会 石本果樹園コース(紀宝町ウミガメ公園発着 紀宝町井田568番地7)
みかん作りの盛んな紀宝町で、地域の若手農業者が実践する果樹園トレッキングを体験します。
第5分科会 川船体感コース(熊野川体感塾発着 紀宝町北檜杖203)
川の熊野古道として世界遺産に登録された熊野川を、伝統の三反帆(川船)で下ります。
とまあ、こんな風になっていた。
その中からワタクシと写真師マツバラが選んだのは、第1分科会の須野コース。
なんと人口5人の小さな集落を中心にめぐるコースであり、「箱庭のまち」というのに興味がひかれた。
空き家が目立つ集落をどう見せ、案内してもらえるのか、非常に興味があった。
それぞれのコースごとにバスが用意され、計100人ほどの参加者は該当するバスに乗り込んだ。
バスの中で開会のあいさつ等がある。
いいではないか。
第1分科会およそ15名を乗せたバスは、須野へと向かったのであった。
われわれ第1分科会を案内してくれるのは、熊野市観光協会の副会長である濱田さん。
これから向かう須野の住民でもある。
つまり人口5人のうちのひとりなのである。
しかも、須野に生まれ育ったわけではなく、偶然立ち寄った須野に惚れ込み、いつかは須野で暮らしたいと思っていたら、いつのまにか今のご主人と出会って須野で暮らすことになったのだという。
ぶっちゃけ、人がどこで暮らすかなんて、勢いと思い込みと偶然によるもんなんだよなあ。
バスは鬼ヶ城の入口のすぐそばの道を入り、海沿いに走る。
途中、対向車が来たらどーすんのと思うような細い道が続く。
木の枝がバスの窓をこする。
おいおい、いったいどこへいくんだ。
「え〜、みなさん、事前に言っておきますが、はじめて須野へ車で行かれる方は必ず迷います。
まさかこんな細い道を下ったところに集落があるわけない、という道を降りていったところに須野はあります。
はい、ここです!」
タイミングよくバスが止まった。
案内人の濱田さんが指さした方には、乗用車でも入っていくのが困難ではないかという細い道が海へと降りていた。
しかも木々に覆われていて家などは一切見えない。
確かにこの先に人が暮らしている集落があるとは誰も思うまい。
細く急な坂道をゆるゆると降りて行くと、急に視界が開けた。
海が見えた、と思ったら、手前に集落があった。
斜面に家がへばりついているような、小さな小さな集落だ。
かつて小学校の校庭であった駐車場にバスを駐める。
そこにカゴを背中に背負った女性が待っていた。
人懐っこい笑顔。
そう、以前に写真師と取材をしたこともある木花堂の久保さんだ。
神奈川から熊野へ移住し、そして結婚を機に、この須野へと移り住んだのだ。
で、現在の名前を志水さんという。
「ようこそ、須野へいらっしゃいました〜、お久しぶりです〜」
なんでそんな大きなカゴを背負ってるのかと聞くと、他にカバンがなかったからという。
なんとそのカゴはリュックなのか(笑)。
「それにしてもすごいところに引っ越したねぇ」
「すごいですか?」
「うん、思い切っちゃったというか、突き抜けちゃったというか」
「はははは、そうでもないんですよ〜、ここは本当にいいところですから〜」
そう笑う彼女の笑顔よりも、背中のカゴに妙な説得力がある(笑)。
濱田さんが須野の地図を配ってくれ、いよいよ町歩きのスタート。
案内人は、濱田さんと志水さんが担当してくれるのだ。
「30年ほど前、須野には200人以上の人が住んでました。それがあっという間に過疎化していって、数年前にはわずか2名まで人口が減ってしまったんですよ〜」
歩きながら話す濱田さんの声は明るいが、話している内容は深刻である。
恐ろしいほどの過疎化である。
だってお店がある市街まで車で30分はかかるところである。
しかも細い海沿いの道をくねくね走らねばならぬ。
車の運転ができなかったら、自給自足の生活しかできないところだ。
「でもですね、みなさん!」濱田さんはさらに明るく言った。
「一度は2人まで減った須野ですが、Uターンでひとり帰ってきてくれたお父さんがいて、そして志水夫妻が移住してきてくれて、なんと人口は5人に増えたんです、2名から5名、なんと250%の人口増加率を誇るんですよ〜」
十二社神社。
目の神さまと言われいる。
社は掃除が行き届いていた。
5人しかいないからこそ、キレイにしようと心がけているという。
思っていた以上に家はある。
見た感じ20軒ぐらいはあろうか。
が、住んでいる家は、濱田夫妻の家、志水夫妻の家、Uターンしてきたお父さんの家の3軒しかない。
残りはすべて空き家である。
人の住んでいない家は恐るべきスピードで朽ちる。
自然へと戻っていく。
基礎だけが残されているところもいつくもあった。
この階段の道は、須野の銀座通りと呼ばれているらしい。
そう濱田さんは言っていたが、本当なのか冗談なのかはわからない(笑)。
昔、須野には腕のいい石職人さんが住んでいて、その綿密な仕事ぶりが今も残っている。
残された「村の記憶」。
もちろん写真師マツバラのスイッチが入る。
「いいねぇ、この感じいいねぇ!!!」
隊長レポートだっていうのに、ワタクシを全然撮らず、苔むした石垣や残された人間の生活のあとを撮りまくっている。
須野銀座通りを登り切ると、すばらしい景色が広がっていた。
切り立った岩が連なる熊野の海。
太平洋の海は青黒く、空の青さをも吸い込んでしまう。
美しく、ちょっと怖い眺めだ。
須野めぐりは続く。
ここへ移り住んだ志水夫妻の家が、次に訪ねる場所だ。
ちなみに須野は、docomoもSoftBankもauも、一切の携帯電話が通じない。
郵便配達は来てくれるがポストはない。
そんな須野で、熊野の魅力が詰まった雑貨店を再開しようとしている志水夫婦のお話は次回。
計3回シリーズでお送りします!!
写真/松原 豊