FM三重「ウィークエンドカフェ」2010年10月16日放送

今日のゲストは、『河崎まちづくり衆 河崎商人館』の事務局長 西城利夫さんです。
ほんと~に、いろんなことに詳しい方です!
河崎の楽しみはやっぱり町歩き。
ゆっくりのんびりと歩いて、町並みやお店を楽しんでくださいね。
西城さんがいつもいらっしゃるのが河崎商人館です。
河崎の町に行ったらぜひ訪れてくださいね。

■河崎商人館と町づくりについて・・・

ここはもともとは酒問屋「小川酒店」の建物で、問屋の町河崎の、町づくりの象徴となる建物です。
ここはもう10年近くになりますが、町づくりの歴史はもっと古いですね。
おそらく最初は、昭和49年に起こった勢田川の氾濫がっきかけ。
護岸改修のため建物が壊されたりする中で、この河崎にはどんな歴史とか文化があるのかを、知る必要があると思ったんですね。
自分たちで歴史を掘り起こし、伝えることで、問屋の町として栄えた歴史・・・こんなにすごい町やったんや、ということを、住んでいる人たちに伝えなくては、と。

それを今の大人が子供たちに伝えることで、町がまた受け継がれていけばいいな、と。

■問屋町としての河崎

実はですね、日本で始めて紙幣を作ったのは、ここ河崎なんです。
『山田羽書』という名だったそうですよ。
山田というのは、伊勢の外宮近辺に古くから伝わる地名。
この山田羽書が作られたいきさつも、お伊勢さんに関係してまして・・・。

江戸時代、お伊勢さんには年間400~500万人の参宮客が訪れていたので、そこで行き来するお金の額もものすごく多かったんですね。
それで、お金が追いつかなくて、おつりとして使われた・・・と言われています。
それだけ、河崎の町に商品が行き来していたということでしょう。

そして河崎のシンボルともいえる勢田川。
かつてはこの川が正面玄関だったんですよ。
この辺りは海に近いので、ほとんど海水・・・つまり潮の干満があったということで、満潮時は100tクラスの船も入ってこられる・・・つまり流通としては、またとないこ好条件な場所だったんです。
陸路が整備されるまでは、水路のほうが流通が盛んでしたからね。
だから河崎は栄えることができたんですよ。

■残したい町並み

ここもそうだけど、関などの旧東海道や参宮街道は、今もまだ道が残っていますよね。
道が残っているところは家も残っている。
そういうところは良い町並みでしょ、つい散策がてら歩きたくなるような。
その町を「歩く」ということが大事だと思うんです。

歩くということは、ただ通り過ぎるわけじゃないから、暮らしがありますよね。
ということは、暮らしとともに、その街道沿いの町並みには、歴史や文化がそのまま繋がっているってことなんですよ。

つまり『人が住んでいる』のが重要というか。
建物が残っていても人がいなかったら文化や歴史も消えてしまいますからね。
人とともに建物を維持することで、町の・・・家族の歴史を継いでいくことが、『町並みを残す』ということだと思います。

■交流の町・河崎

昔は問屋町としての交流。
そして最近では、この町並みに憧れて来てくださる方も多くいらっしゃいます。
町屋や蔵をお店に改装して使ってくださる方も増える一方、最近では、河崎に移住したいという方も、少しずつ来られるんですよ。

けれど、もっともっと河崎の町に活気を取り戻そうと、年に1回、商人館を中心に『河崎商人市』というのを行っています。
フリーマーケットなどのように広場で開催するのではなく、700メートルくらいの町並みを市にして、昔の面影を取り戻す感じで。
海産物や野菜やてこね寿司、お菓子に小物に雑貨・・・何でも販売しますよ。

『商人の町・河崎』だからこそ、商いを通じて楽しい町にしたいですね。