三重県にはマニア垂涎の老舗のおもちゃ屋さんがあるという!
サルシカ隊長と写真師マツバラは、その物欲のルツボへと潜入する!!
「さてさて、どーしたものか・・・」
この取材を2日後に控えた夜。
サルシカ隊長のワタクシといつもの相棒の写真師マツバラは、三重県津市美里町の山あいにあるサルシカの拠点「サルシカ秘密基地」のトレーラーハウスでウンウンとうなっていた。
ふたりの目の前のテーブルには、まだ開けられていない缶ビールが2つ。
打ち合わせが終わるまでは飲むべからずとお互いに決めておきながら、ひんやりと汗をかく缶ビールから目を離すこともせず、うんうんとない頭をひねり続けていた。
実は本来予定されていた取材が天気の都合で延期になってしまい、苦労して調整した取材日まであと2日となってもまだ取材先というか取材内容がまったく決まらないのであった。
ワタクシと写真師から少し離れたソファで、サルシカの農業研修生の上出さんがうまそうにビールをすすっていた。
研修生といっても50代のおっさんである。
「あー、うまいうまい、もうふたりとも飲んじゃえばいいのに」
年甲斐もなくムカつくことを言う(笑)。
で、頭にきたので会議に参加させることにする。
この上出さんはもともと東京でテレビのディレクターをやっていた人で、かつゴキゲンに酔いはじめているものだから、まあ無責任にいろいろと企画を出す。
「裏路地の居酒屋を巡って飲む」ってのはどう??
「あ、そうだそうだ、スナックの美人ママをさがす」ってのはどう??
「それともさ、立ち飲みやをめぐるってのは・・・?」
なんだかこの人が出す企画は、すべて酒を飲むところに落ち着くらしい。
片っ端から却下していたところ、ふと面白い企画が出たのである。
「駄菓子屋っていうか、昔なつかしいお店を探すのはどう? おもちゃ屋とかさあ」
ワタクシと写真師は俄然「おおおおおお」となった。
しかも、写真師は桑名に伝説のおもちゃ屋がある話を聞いたことがあると言い出した。
「それだ、それそれ!!」
「それにしよう!!」
で、たいして企画の中身をつめることなく、3人でカンパイとなったのであった。
で、取材当日。
たまたま休みであった上出研修生も無理やり誘い、3人でまず向かったのは桑名。
駅から少し離れた旧東海道沿いに、マニア垂涎の超ウルトラ級のお店があるというのだ!
いもや本店。
おもちゃ屋なのに「いもや」。
支店がないのに本店。
そしてこのキョーレツな店構え。
たくさんの玩具が無造作に吊るされ、手書きの貼り紙があちこちに貼られている。
歩いていてたまたまこのお店を発見しても、ワタクシには入る勇気がない(笑)。
そんなお店であった。
ずずずいと店内に潜入する。
壁という壁、そして天井までがおもちゃでいっぱいである。
まさにおもちゃに埋め尽くされている。
なんだか不気味な玩具のトランスフォーマーの胃袋に飲み込まれていくような感じである。
ずぶずぶとおもちゃが動いているような気がする。
が、目が慣れてくると、この店のすごさが見えてくる。
プラモデル、フィギュア、子ども系玩具、なんでもござれである。
年代も新しいものから古いものまで混在している。
しかも天井にもビニールに入れられたおもちゃが吊るされているのだ。
ドン・キホーテがこのようなジャングル状の展示をしているが、こちらのほうが先輩なのだ。
しかもジャングルの密集度が違う。
濃厚である。
「なぜ天井におもちゃを吊るしてるんですか?」
とお店のお母さんに聞くと、
「そりゃあ置くとこがなくなったでさ。知恵というか工夫やわさ」
一見なんのまとまりもなく乱雑に置いてあるだけに見えるが、何がどこにあるか大体わかるという。
「ま、わからんでもお客さんのほうが知っとるで」
なんともおおらかな話である。
が、それだけ熱烈なファンに支えられてきたお店だということであろう。
「おおっ!!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
おもちゃのルツボは物欲のルツボと化す。
あかんのだ。
掘り出し物、お宝の品が次々と発掘されてしまうのである。
ごらんあれ。
販売当時のウルトラホーク2号のプラモデルでっせ!
ウルトラマンの人形つき!
プレミアがついているものの、なんと1000円!!
わたくし、買いました。
迷わず。
このプラモデルはあとでプレゼントします!
そしてもうひとつ、スーパーエイトという映写機。
2800円という価格!!
悲鳴をあげましたね!!
が、これはフィルムが紛失していたので残念ながら購入できず。
ま、しかし。
こんなお宝商品がざくざく出てくるのだ。
正直ね、
こちらで買ってヤフオクに流したら商売になるんじゃないか、と思いましたね。
大人買い必須。
興味のある人はただちに駆けつけるのだ(笑)。
お店を切り盛りするお父さんとお母さん。
もう夫婦で40年近く、このお店をやってきたという。
「よくケンカもせずに続けてこられましたねぇ」とワタクシが聞くと、
「それはさ、オレがいつも折れとるでさ」
とお父さんは笑った。
いもやの名前の由来。
それはもともと焼き芋を売っていたお店だから。
それが駄菓子屋のような形に発展し、おもちゃを取り扱うようになった。
そしてお父さんの代になっておもちゃの専門店へと発展させたのだという。
「昔はさ、店のまえにずらーっと自転車が並ぶほどの人気やった。
朝から晩まで客が絶えんでさ、もう店がいっぱいで人が入れんから、こんなん作ってさ」
お父さんがそう言いながら差し出したのがレッドカード。
20年ほどまえに導入したが、最近はあまり出す機会がないという。
「子どもは今も昔もおもちゃが大好きや。
でも肝心の子どもがおらんでなあ。
このあたりもめっきり子どもの姿がないようなったでなあ・・・」
でも身体が続く限りは店を続ける、とお父さん。
「あと5年、10年はなんとかやっていきたいなあ・・・・」
ぜひそうしていただきたい。
いや、そうしていただかなくては困る。
もはやここは三重県の大切な資産である。
現役の博物館だ。
末永く営業し、そして子どもたち、かつて子どもたちであったワレワレを楽しませてほしい。
この日、東海道を歩くツアーのみなさんが「いもや本店」にお立ち寄り。
懐かしいおもちゃの数々にさまざまな歓声があがる。
店内に飾られていた昔の写真。
昭和42年はご主人と奥さんが結婚された頃。
昭和13年は先代がやっていた焼き芋店の頃。
ずっと同じ場所で商いを続けてきたのだ。
写真/写真師マツバラ(松原 豊)
※こちらの動画レポートはこちらをどうぞ!!
http://genki3.net/?p=42813