FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年1月17日放送

今回は、『四日市観光ボランティアガイド』の村田三郎さんがお客様です。
ボランティアガイドになったきっかけは、三重県が募集していた『ふるさと三重の語り部』に応募したこと。
四日市のいろんなことを勉強し、その場所に行って様々なお話を聞いてきました。
自分の言葉でいろんな話ができるガイドさんを目指して、ずっと頑張って
こられたそうです。

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■『四日市観光ボランティアガイド』について

地域のことをたくさん勉強すればするほど、地域について誰かに話してみたくなるんですよ。
もともと子供の頃から歴史や話すことが好きだったので、きっかけを求めていたというか。
たまたま『四日市観光ボランティアガイド』を募集しているのを見て、登録して、退職してからはこの道に入って・・・本当に偶然ですよね。
今、とても好きでやっています。

初めてボランティアをしたのは、12〜3年前。
四日市観光協会から、名古屋から先生方が来るとの連絡があったんです。
ちょうど夏休み期間で、先生の夏休み研修で四日市港を勉強すると。
大型バスでいらしたので、初ガイドなのにいきなり相手は40人ほど。
足が震えました。
汗もタラタラで大変でした。

観光ボランティアは、書いてあるものを読むことももちろんありますが、自分自身がたくさんの経験をし、それを話すことも必要です。

ある程度下調べはしておきますが、お客さんが来られた目的に応じて、それ以上の情報を提供したい。
あまりしゃべりすぎずに・・・そのバランスが難しいですね。
四日市や三重県に対して、普段自分がどこまで考えているかが勝負なんでしょうね。
そうすると毎日勉強していないと。
図書館に通ったり情報を仕入れたり・・・なかなか難しいですね。
今は普通に話せるようになりましたが、それは自分が熱心に勉強をしてきたからだと思います。
社会的にも、有意義な活動だと思っています。

おととしは、伊勢神宮のご遷宮に合わせて全国から多くの人が四日市に来てくれましたので、お伊勢まいりでにぎわった、江戸時代の四日市が分かる場所も紹介しましたよ。


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■一番好きな場所は『四日市旧港』

実は私の出身は関東、神奈川県。
昭和42年に会社の転勤でこちらに来ました。
当時は独身で、こちらに来てから結婚して今も暮らしていますが、もともとは四日市のことはまったく知りませんでした。
こちらに住んでから四日市が好きになり、あちこち自分で足を運んだりしました。
もちろん今でも、勉強がてら行ったりします。
だいたい週に1回ぐらいは図書館に行っていましたね。
本で得た知識と、さらに現地に行って自分でおさらいするというか活かすというか。
可能ならば、そのことについてよく知っている人とおしゃべりするんです。
それでようやく知識が本物になる。
私がガイドをしているのは、ボランティアだからではなく、四日市の街を知り、話すのが好きだから。
また、ボランティアガイドである前に一四日市市民だという意識を持って行っています。

四日市で一番好きな場所は、稲葉三右衛門が私財を投じて作った『四日市旧港』。
外観は変わっていますが、そこは四日市の近代を発展させた場所。
航路が発展し、国際貿易が始まり、それが後に四日市の経済発展を支えて来たんですね。
それがさらに発展して、どんどんコンビナートができました。
都市発展には陸上交通・海上交通などが大切です。
四日市の場合は陸と海が非常にうまく結びついたのが大きいと思います。


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■線路の跡に作られた諏訪栄のアーケード

四日市の中心に『諏訪栄』というアーケードがありますが、あれは昔の近鉄の線路の跡なんですね。
今の近鉄線から、JR四日市までずっと線路が伸びていたんです。
もともとは四日市発祥の関西鉄道がありまして、四日市が本社だったんです。
四日市の資力で関西鉄道ができまして、そのうち関西本線になりましたけどね。
四日市をスタート地点に、大阪方面と奈良方面に線路が伸びたんですね。
もともと四日市は三滝川という橋の近くに市場ができたのが始まり。
市場の中心が宿場の中心となり、江戸時代にずっと栄えて来ました。
明治に入って関西鉄道ができて、街の中心が移っていって、そして戦後。
昭和30年頃に近鉄四日市駅・JR四日市駅が現在の場所に来て、街の中心もこちらに移ってきたんです。

そういうのを聞いてもらうことで、お客さんの興味が湧くきっかけになればと思います。
私も勉強になりますしね。

現在の四日市は、行政的に24地区に分かれています。
もともとは三重郡と朝明郡。
明治になり朝明郡が三重郡に統合され、三重郡が大きくなり、昭和30年代に最終的に残ったのが、楠町と菰野町と朝日町と川越町。
そしておおまかに言うと、江戸時代の幕藩体制に合わせて町が残り、現在24地区になっています。
そういう意味では変化なく昔の地域性を持っているんですね
四日市というのは、海岸の漁村的な地域、街場、そして完全に山間に近い農家もあります。
そういう意味では、地域性がたくさんあり、どこまで行っても完全にわからない、面白いところです。


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■自分の住んでいる町を好きになって!

四日市のおまつりで大切なのは、獅子舞。
これは三重県内でも特別に四日市に多く、今伝承されているのでも26ヶ所。
もともとは40ヶ所ほどあったと言われています。
現在でも町独自の獅子舞があるほどで、全国的に見ても有名だと思います。
そもそもは名古屋がこの地域の大きな文化を担っていたので、そことの交流があったと思います。
そして四日市市の町や農村地域の経済力が、その文化を自分の地域でも実現し定着させたのでしょう。

現代の方はそういう経緯を知らなくても、楽しんで、伝えていって欲しいと思います。
『四日市祭』では旧町名を名乗りますが、これもだんだん薄れています。
平成の大合併もありましたが、それよりはるか前、明治時代に『村』から『町』へ変わる際に、村をまとめて町に変えてしまったり・・・合併は少々難しいですね。
昭和の合併、平成の合併・・・昔の町の名前を言える方も減ってきています。
しかし歴史や文化を知れば、自分の生きているこの場所を好きになるはず。
そういった意味でも、四日市の素晴らしさや良さをPRする必要性を感じます。

四日市市内で地域のためにいろいろな活動をしている人、郷土史を作っている人・・・そんな人たちの思いが広がっていって欲しいし、そのきっかけをボランティアガイドの自分が作ることができたらな、と思います。
各地区地区には裏側の郷土史みたいのがありますが、なかなか他の地域とつながっていかないんですよね。
そこで、四日市全体がつながるような郷土史を作ろう、そのためにみんなで集まろう、という提案はしているところです。
観光ボランティアガイドをしていると、まったく違った経験をしていますし、みなさんが知らない角度から見た郷土史などもお話できるかもしれません。
そういう機会ができたら、自分が勉強したことが一番生きるかな、と思います。