FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年2月14日放送

今回のお客様は、尾鷲市にある五月湯の若旦那、中平隆夫さん。
今、尾鷲にある銭湯はこの五月湯さんと新生湯さんの2つ。
昔から常連さんたちに愛されてきたこの場所をしっかりと守ってくれています。
銭湯の文化を絶やさないように・・・。

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■尾鷲市内の銭湯は、『五月湯』と『新生湯』の2軒

尾鷲の銭湯は、一番多い時で14〜5軒ありました。
僕が物心付く前にやめているところもありますので、覚えているのは13軒。
それが今、ウチを合わせて2軒になってしまいました。
もう風前の灯火ですね。
『新生湯』さんは、ご夫婦で80歳を超えてらっしゃいますし、跡継ぎもいませんし。
ウチは親父がやめようと言っても、僕が続けるつもりなので、なんとか、壊れない限りは営業し続けます。
港町はお風呂が家にない家が多く、ほぼ毎日銭湯に行くのが当たり前でした。
家にお風呂がある最近でも、時々入りたくなる人がいらっしゃいますね。
今の時期は寒いからか、わりとお客様が多いです。

僕は時々、『古道の湯』に行っています(笑)
やはりいつも自分の家のお風呂なので、気持ち的に新鮮じゃないですか。
普段は営業時間後に、片付けを兼ねてウチのお風呂に入ります。
冷えている時もありますが、閉店後のお風呂には誰もいないので、家主にしか味わえない特権ですね。

■お風呂は社交場

銭湯は社交場みたいなもんです。
昔は漁師さんたちが漁を終えて帰ってくると、銭湯へ足を運びました。
町がにぎやかだった頃は、夜の仕事を終えてからお風呂に来る人もたくさんいたので、営業時間は午後3時から夜の11時までだったんです。

現在の営業時間は午後4時から8時半までです。
入浴料はウチと『新生湯』、ともに300円。
毎日来てくれるお客様に負担がかからないような料金で、なんとかしたいと思っています。

決まった時間に来る人が多いので、2〜3日来ないと、どうしたんだろうなとか。
年齢層もかなり高いので、実際寝込んでいたりすることもあります。
そういう意味では、お互いの健康確認も含めた、コミュニティの場なんですね。
毎日来る人もいますし、一番に来る人もいます。
やはり一日でも顔が見えないと、どうしたのかな、と思います。
毎日来ている人たちは自分のかごの場所も決まっていますし、シャンプーなどの荷物を置いていく人もいます。

実は、特に女湯がすごいんですよ。
脱衣場の中にまで私物が入っていたり、ヘタするとロッカーの鍵まで持って行っちゃう。
鍵はさすがに戻してもらいましたけど(笑)
ウチの創業は昭和30年代なので、もう60年ほど。
数十年通って来てもらっている常連さんもいます。
『新生湯』さんの方はもっと長くて、大正の終わりか昭和の初期。
歴史がありますね。

ウチのお湯は火傷をするくらい熱いという噂があります(笑)
浴槽が2つありますが、そのうち1つは45℃くらいあるんじゃないですかね。
普通には入れないです。
水で埋めても良いと思いますが、ただ、ローカルルールというか他のお客さんの様子を見つつで。
熱いお湯がへっちゃらで大好きなお客さんもいますからね。
僕も昔は入れましたが、最近では終わってから入ることが多いので、もう熱い湯はまったくダメです。


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■『みえの銭湯 ゆ~ったり スタンプラリーの旅』賞品は暖簾!

銭湯の暖簾も、全国各地で種類があるんですよ。
大きく分けると北海道型と大阪型、東京型の3つ。
大きさと長さが違うのが特徴です。
北海道型が横に細長く、ちょっと暖簾をくぐる感じ。
対してウチのは、縦に長くてかき分けて入っていく感じですね。
ただ、三重県の銭湯はほとんど、牛乳石鹸提供の暖簾を掲げているところが多い。
ウチもそれをずっと使っていたのですが、ちょっと横に短いんですよ。
なので自分が継ぐことになった時に、大漁旗を作っている地元の旗屋さんに頼んでオリジナルの暖簾を作ってもらいました。
デザインは富士山をモチーフに(笑)
やはり銭湯というと、やはり富士山なんですよね。
僕も銭湯の歴史研究家じゃないのではっきりしたことはわかりません。
ただ、ウチは浴室内の壁に絵が描かれていないので、ちょっと富士山をモチーフにしようと。

去年の1年間、『みえの銭湯 ゆ~ったり スタンプラリーの旅』が開催されていまして、36軒全部制覇した人への賞品が暖簾だったんです。
新しい暖簾か、使用済みの暖簾、どちらか選んでくださいと。
制覇した人は、のべ102人。
『のべ』というのは、一人で2回3回制覇した人がいるからなんです。
すごいのが、6回制覇したという人。
しかもの東京からなんです。
まさに銭湯マニアなんでしょうね。
その人にどこの暖簾がほしいかと尋ねたところ、ウチの暖簾がほしいと。
しかしこの富士山の暖簾、二つとないオリジナルですから・・・廃業するまで待ってください、とお願いしました。
ちゃんと住所を控えてあります。

ちなみに尾鷲・熊野地域からは4軒の銭湯が参加しました。
この地域で4個のスタンプを集めた人には、サンマの木札をプレセントしました。
これもとても良かったと思います。


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■大切な風呂焚きはお父さんの仕事

県内でも半分は薪で焚いていると思います。
おがくずは減っていますね。
というのは、危ないんですよ。
火の粉が散るのでボヤが起こってしまって、それでやめてしまう銭湯もありまして。
あとは重油ですね。
重油で焚いている銭湯は、昨年は高騰したため悲鳴をあげていました。
最近ではやっと安くなってきましたけど、大変だったのではないでしょうか。
ただ、スイッチで沸くので、そういった意味では楽だと思います。
ウチは薪なので、親父が今でも元返し(木の根部分)を割ったり、電ノコで切ったり。
そして早く焚き出さないといけないですからね。
今日は休み明けなので、8時半くらいから木を切っていました。
燃やし方が悪いと焚けないですし。
僕は正直、自信がないです。
親父がずっと窯焚きをしてきているので。
「お前は手を出すな」みたいな・・・彼の領域なんですね。

銭湯といえば番台ですが、昔は自分の母親がやっていました。
が、母が体調を崩した時は僕がやっていました。
実際、見えちゃうので、できるだけ見えないように工夫して・・・。
そうすると「お兄ちゃん、大丈夫よ!」って、女性客からからかわれるんですよ。
お兄ちゃんと言っても、もう五十過ぎですけど(笑)
そうすると今度は「あんたのなんか見たないわい!」と、他の女性のヤジがかかったり(笑)
完全に遊ばれていますね。

今は女性を雇って、その人に番台をしてもらっていますが、毎月1回だけ休むので、その日は僕が担当しています。
イジられタイムですね(笑)