「子供の頃よくいったあの駄菓子屋は今もあるんだろうか・・・・?」
酒の席でふと出た思い出話からスタートしたのが今回の駄菓子屋めぐり。
今から40年以上まえ、まだヒゲはなく髪の毛があったオクダ少年は、何十円かを握りしめ、駄菓子屋に通った。
そこで遊び、さまざまな体験をした。
駄菓子屋は子どもたちの聖地であったのだ。
あの懐かしい場所はまだあるだろうか・・・?
写真師マツバラと隊長オクダによるノスタルジックツアーがはじまった。
まさに灯台下ぐらしであった。
駄菓子問屋の大石屋さんに教えてもらったお店は、なんとワタクシが仕事でしょっちゅう出入りしている三重テレビ放送のすぐそばにあったのだ。
ほぼ毎日のように車で前を通っているのに、駄菓子屋であることも、営業をしていることさえも知らなかった。
そのお店とは、広岡たばこ店。
ぎゅーとらラブリー渋見店のすぐそば。
最近できたばかりのサークルKサンクスの隣である。
建物自体、ワタクシは目にしたことがあった。
しかし営業しているとも思っていなかったし、駄菓子屋だとも思っていなかった。
大石屋の息子さんいわく、「最近は営業していないことも多いので運がよければ」と言っていたが、この日はどうやら営業をしているようである。
「こんちわ〜」恐る恐る店を覗くと、入ってすぐ横に和室があり、そこにお母さんがひとりポツンと座っていた。
取材のお願いをすると、例のごとく、もういつ閉めるかわからないから、もう歳でシワクチャだからと拒否をされる。
大石屋さんからの紹介だというと、とりあえず写真を撮ることだけは許してくれた。
冷蔵庫に瓶のチェリオを発見。
きょう、朝から駄菓子ばかり食べて何も飲んでいなかったので喉がからから。
写真師と共に購入して飲むことに。
たぶん三重県の駄菓子屋といえば、チェリオ。
チェリオといえば、駄菓子屋か銭湯である(笑)。
チェリオのアップル味を飲みながら、お母さんとお話。
何年前から店をやっているのかと聞くと、「もう忘れた。ずっと昔から」と笑う。
もともとご主人がたばこ店としてはじめたが、そのご主人は数年前に他界。
いまはほそぼそと駄菓子屋のみ続けているという。
小さな小さなお店だが、あたりにお菓子が売っているお店がなかったので、最近まで子どもたちで賑わっていたという。
が、となりにコンビニが出来て、ぱったりと子どもたちが来なくなったという。
「そやからね、もういつ店をたたもかとそればっかり考えとるんよ。
もう歳も歳やし、お父さんはよ迎えにきてって毎日墓参りにいっとる」
「最近は大石屋さんから仕入れもほとんどしてないで申し訳なくてね・・・」
お母さんの話は切ない。
まるで時間が止まったかのような空間。
昔、ワタクシが通い、遊んだのはこんなお店だった。
当時の空気、匂いがそのまま残っている。
お土産用にと思って、ここでもお菓子をたくさん買った。
あれもこれも。
「そんな無理して買ってくれやんでええよ。
まだ他の店にもいくんやろ」
おかあさんの気遣いがうれしい。
お会計はそろばんで。
かちかちという玉の音だけがひびく。
「おばちゃん、また来るわ」
お母さんは店の外まで見送ってくれた。
「はいはい、まだやっとったらな」
そんな風にぶっきらぼうに言って、お母さんは店の鍵を閉めてカーテンを下ろしてしまった。
きょうはこれでおしまいなのであろうか。
ワタクシと写真師はしばらくそこで呆然としてから車に戻った。
続いての店は、津市の一身田。
高田本山専修寺の寺内町にあると聞いた。
陽射しだけはもうあふれんばかりに射しているが、人の姿がほとんどない町を歩いて駄菓子屋を探した。
ようやく見つけて、戸を開けようとすると、鍵がかかっていた。
まだ営業していないらしい。
しばらく時間をつぶして、またアタックしたが、まだ鍵はかかったまま・・・。
残念だが、この店を訪ねるのはまた次回にしよう。
なんだか尻切れトンボだし、童心に戻って楽しい気分でもなかった。
でもこれが現実なのかもしれない。
〜津の駄菓子屋めぐりシリーズおわり〜
写真/松原 豊