FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年10月10日放送

今回は、鳥羽の『浦村アサリ研究会』代表の浅尾大輔さんがお客様です。
大阪出身の浅尾さんが結婚を機に奥様の故郷だった浦村に住み、漁業に携わるようになって7年目となりました。
これからの季節は、牡蠣の出荷と焼きかきのお店の運営で一番忙しいとき。
年々お客様の数も増え、9月10月の優しい牡蠣の味を楽しむ人、
4月の大きな身が好みの人など、それぞれ好きな味の季節に浦村を訪れる人も
多くなりました。
海での仕事は、春のシーズンだけ空いてしまいます。
その時期、何ができるかを考え、出会ったのがアサリの養殖でした。

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■漁閑期にアサリの養殖に着手!

秋口から牡蠣養殖が始まりまして、焼き牡蠣屋もしています。
年が明けて2月くらいからは、アカモクやワカメの収穫が始まり、ワカメを塩蔵にしたりする作業も入ってきます。

牡蠣シーズン終わった春先から、田植えが終わると、わりと空く期間があるんですね。
そういう漁閑期に何かできることはないかと、アサリ養殖を始めました。

養殖というと浜で育てるイメージがありますが、僕たちは浜で特殊な方法で採った稚貝を牡蠣筏で吊るす、垂下式という方法で養殖しています。
これは全国的に見ても、あまり例がないと思います。

今年は伊勢湾だけでなく、全国的にアサリが減少し、ほとんど見なくなったところもあります。
ここ浦村でもこれまでは出荷するほどでなくても、夜のおかずぐらいには採れていたんですね。
そのアサリでさえ少なくなり、掘ってもとれないという状態となっています。
アサリというのは身近な貝で、潮が引くといくらでも採れるというイメージがありましたが、最近では姿を見ない貝になってしまった。
その中で、伊勢湾でなんとかアサリ資源を復活させようと、アサリがまったくいなくなってしまった浜で、特殊なネットを置いて、アサリを採取するという方法に至りました。
この取り組みを始めてから、7年ほど。
まだ多くの利益を得たというわけではないものの、浦村でのアサリの絶対数を増やせたと思います。
純国産・純浦村産のアサリをお客さんに食べてもらうことで、消費者との信頼を勝ち取ることも大切だと思います。

 

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■牡蠣の稚貝を地元産のものでできるよう研究

東日本大震災の際、距離は離れていましたが、西日本の漁業ではこの辺りが一番被害にあったようです。
僕が持っている牡蠣筏もけっこうやられました。
1.8mくらいの上げ下げの津波だったんですけど、本当に怖いと思いましたね。
復興作業もかなりかかりまして、
復興作業を『出合い』というのですが、牡蠣養殖業者の出合いが毎日毎日ありまして、時間をかけて、みんなでなんとか元に戻したという感じですね。
来シーズンの分の牡蠣は落ちてしまったりなくなってしまいましたが、その時は数が少なくなったためか、わりと身が良かったのが希望となり、精神的にも救われた部分がありました。

牡蠣の稚貝は今まで東北の宮城県から買っていましたが、震災以降値段が高騰したこともあり、浦村で地元の稚貝を付ける、地種の牡蠣づくりという取り組みを始めました。
8月のお盆過ぎに産卵した牡蠣の赤ちゃんがコレクター(帆立の貝殻)に付着し、今はもう、親指の爪くらいの大きさになっています。
今でも宮城県から稚貝を買っていますが、年々地種を使うという取り組みが件数も量も増えてきました。
思っていた以上に良い牡蠣ができたので、来年はもっと人数を増やし、情報共有しながらやっていけたらな、と思っています。

 

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■アカモクの販売

東北の一部では昔から食べられていた『アカモク』という海藻は、ここ三重県ではほとんど食べられていなかったんです。
津波以降、牡蠣養殖やアサリ養殖の筏、ワカメの筏も波でやられて、一旦ぐしゃぐしゃになりました。
復興作業をしている時に、メンバーの1人がアカモクをテレビで見たと。
同じものがこの辺にもあるのではないかということで、調べてみました。
すると、ひじきなどの海藻を採りに行く時に、船のプロペラによく絡んで邪魔な『モ(藻)』がアカモクだったとわかりました。

食べられるのかという疑いがあったのですが、刈り取って食べてみたら、ものすごく美味しかったのです。
で、三重県の水産試験場の人に商品化できないかと相談に行ったところ、その人もちょうど未利用海藻のアカモクを商品にしたいという思いがあり、一緒に研究を始めました。
茹で方や食べ方、販売の方法などを模索し、浦村町の『今浦朝市』で販売したりしました。
今は菅島や安楽島で販売している他、三重県内のスーパー『ぎゅーとら』で、定番商品で出してもらっています。
とろみやシャキシャキ感など『めひび』と似ているので、食べ方としては同じ。
さらにウチではお、好み焼きや玉子焼きに入れたりします。
また、ハンバーグに入れるとふわっとして美味しいですし、つなぎとして使うことで、卵アレルギーや小麦粉アレルギーの人にも安心して食べてもらえます。

 

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■もっと漁業に携わる人が増えてほしい!

漁業者になって11月で7年目、まだまだ日が浅いです。
僕自身はよそから来た人間で、出身は大阪。
妻が浦村出身なのですが、大阪にいる時は、まさか漁業者になるとは思いませんでした。
しかし工場勤めなどをして土日だけ牡蠣養殖を手伝ったりしているうちに、四季を感じられる仕事・・・海に出る仕事がしたいという気持ちが高まり、漁業者になろうと決めました。
およそ7年前にこちらに来て、牡蠣の養殖や焼き牡蠣小屋を始めたという感じです。

ウチの若手グループでよく集まると、みんな口々に海の仕事が楽しいと言っています。
だから、どうしてこんなに楽しいのに、漁業者が増えないのかが不思議ですね。
やり方次第では収益も見込めると思います。
それより何より、海と相談しながら牡蠣を作ったり魚を獲ったりは、とても楽しい作業なんです。
天候や自然災害などは確かにありきなんですが、それを乗り越えてできた牡蠣を、お客さんに食べてもらうのがものすごい喜びなんです。
なので今も来年再来年が楽しみというか、毎日毎日、本当に充実しています。

最近では少しずつ漁業をしたいという人もいて、『地域おこし協力隊』として来てくれた人もいますし、それ以外にも違う地域から漁業がしたい、僕らの仲間になりたいという人も来てくれています。
また、そういう問い合わせも多いんですよ。
そういう人たちが、僕らのところに集まってきてほしいなと思います。
他所から来た人がすぐに漁業権を取れるわけではないのですが、興味を持ってもらったり、魅力を感じてもらえたことがとてもうれしいです。
また、違う地域の飲食店のオーナーさんが、牡蠣やアカモクやアサリなど、浦村の食材を使ってくれ、僕らの応援としてアピールしてくれているので、それもまた、とてもうれしいことです。

 

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■漁業を通じての6次産業化を広めていきたい

漁業を通しての6次産業についても、今、浦村地域で牡蠣の養殖だけでなく、焼いて食べさせてくれるお店を運営しているところが30数軒あるそうです。
この地域を訪れるお客様も多くなってきました。
実際それがあるので、収益もあるし雇用もある。

もっと満足してもらえるよう、他の種類の牡蠣の養殖に取り組んだり都会のオイスターバーに足を運んで研究も進めています。

こういった仕組みを日本全国に広めるというか、自分たちがモデルとなっていけたらなと思っています。