FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年11月14日放送

今回のお客様は、市木もめんの織元、向井ふとん店の店主、向井浩高さんです。
現在、唯一の市木もめんの織元として、ふとん店の経営と市木もめんの生産に精を出されています。

市木木綿は、熊野古道 伊勢路 浜街道沿いの市木村、現在の御浜町下市木で
明治時代から織られるようになりました。
使い込むほどに肌になじむこの木綿は、とても喜ばれ最盛期には45軒もの
織元があったそうです。
そして、今ではこの市木もめんの生産者は向井さんだけになってしまいました。
向井さんが織元になったのは、今から10年前。
市木木綿の仕入れ先が工場(こうば)を閉めることになったから。
市木木綿に魅せられた向井さんが跡を引き継ぐことになりました。

11-14-2

わらかい風合いが特徴の『市木もめん』

市木もめんの糸というのは、手で引っ張ると切れてしまうくらいの柔らかい国内最高級の単糸(たんし:撚りをかけていない糸)を使い木綿生地を織り上げていきます。
単糸は撚っていないので、糸を引っ張ると簡単に切れてしまう。
なので織りにくいのですが、織り上がるとふわっとした風合いになります。
単糸でも良い物は切れにくかったり繊維が長いので、そういうのを使うようにしています。
とにかくやわらかい糸を使っているので、現在の大量生産にない素朴な風合いがあります。
僕が持っている色の種類は17〜8色で、好きな色は鮮やかなブルー。
出来上がりをイメージして、横糸と経糸を織っているのですが、なかなかイメージ通りにいかないですね。
イメージより良くなることもありますし。
ブルーのグラデーションの中に渋い色が入り、素敵な縞模様が織られていきます。
歴史が長いので、その時代によって縞の太さなどはやりもあったそうです。
先代の縞のパターンを参考に、出来上がりを想像しながら、優しい市木もめんを作りだしています。

『市木もめん』は御浜町の市木の方が昔から守ってきたもの。
僕は市木ではなく熊野市出身なんですが、そういう昔の人が残した伝統に携わらることができてありがたいと思いますし、残し、継承していきたいです。

 

11-14-3

場に織りに来るのは週1回

『力織機』と呼ばれる年代物の織機は5台あり、今はだいたい週に1回来れるか来られないかという感じです。
織り出すと1日で1反ほど進みますが、織り出すまでの経糸の準備で、全工程の半分くらいの時間が必要となります。
織機には800本の糸が架けられています。
それを一本一本セッティングするのですが、ここで失敗すると出来上がりがうまくいかないので、やはり経糸を成形するのが大変になっています。
縒りをかけていない柔らかい糸を使っているので、織っている時に切れやすいのです。
しかしその糸を使うというのが特徴なので、市木もめんを購入した方には、使い込むごとに手に馴染む感じを味わってもらえたらと思います。

 

11-14-4

木もめんの最盛期は明治時代

一番の最盛期は明治の頃で、織元がそれこそ何十軒もあったと言われています。
御浜町でもめんを作る作業が栄えた理由は、市木の川の氾濫などで農作物が育たなくなった時があり、その時の副業として市木もめんが盛んになったと聞いたことがあります。
昔は若い女性、嫁入り前の修業として働かせることもあったと言われています。
暮らしの布として、着物やモンペ、ふとん生地などに使われてきました。
そして使い古した布は、風呂敷やおて玉、わらぞうりの鼻緒へと・・・昔の人たちは、大切に大切に扱ってきたんですよ。

 

11-14-5

々代から使っている『力織機』の機嫌に合わせて機織り

この『力織機』は先々代から使われてきた古いものなので、天候などによって調節が必要です。
また、機械の部品のスペアももうないので、そのへんを工夫しながら調節するのが難しいところですね。
天気が良すぎて乾燥し過ぎると、糸が切れやすくなりますし、湿気が多いと機械がうまく動かなかったりします。
一番織りやすい季節は、暑くもなく寒くもない、今のような季節。
湿気もなくさわやかな気候です。

僕はあまり後先考えずに、思い切って市木もめんを始めてしまいました。
僕という熊野の人間が市木のものをするということで、市木の区長さんに相談して許可をもらいに行ったり、地元の人に相談したりし、いろいろ理解していただきました。

布が織り上がっているのを見ると、やりがいはありますね。
僕が今やっているのは、市木の人が守ってきたから。
長い歴史の、今度は僕の次の世代の人が継いでくれたらなあ、と思っています。