『M子の地産地消レストラン』2016年7月

「その地でとれた食材を、その地で食す!」
三重に来て以来、何かといただく機会が多いのが『森喜酒造』の『るみ子の酒』。
今回は趣向を変えて、その誕生秘話に迫ります!

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私は日本酒が大好き。
どのくらい好きかというと、2011年に開催された『第1回 伊賀酒DE女子会』に参加したほど。
その時の参加蔵元さんは『森本仙右衛門商店(黒松翁)』『森喜酒造場(るみこの酒)』『大田酒造(半蔵)』『若戎酒造(義左衛門)』。
その後も参加したかったのですが、開催場所が伊賀のため、アルコールを飲んで帰るわけにもいかず・・・。
ちなみに第1回目は、夫がハンドルキーパーをしてくれました。

 

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そんな出来事から5年。
以来、伊賀のお酒で一番飲んでいるのが『るみ子の酒』です。
夫がたまたま別の仕事で、『森喜酒造』さんにお邪魔するというので、私もお伴させてもらいました。

 

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『森喜酒造場』といえば『るみ子の酒』!
三重を代表する日本酒の1つであり、『夏子の酒』の作者・尾瀬あきらさんによるイラストでも有名ですね。
そのイラストのモデルとなったのが、森喜るみ子さんです。
私より小柄ながら、エネルギーが溢れ出しています!

 

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現在、『森喜酒造場』の主力商品は『るみ子の酒』シリーズ。
『純米るみ子の酒 9号酵母火入れ』『純米吟醸るみ子の酒』『純米酒るみ子の酒 無濾過生』など、8種類ほどがラインナップ。

 

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「実はうちは、今でもそうですが、本当に小さな蔵元なんです」

と、語る、るみ子さん。
『るみ子の酒』が生まれたいきさつを聞きしました。

 

●父親が脳梗塞で急遽『森喜酒造場』を継ぐことに

20代の頃、関東の製薬会社に勤めていたるみ子さんでしたが、父親が脳梗塞で倒れたことにより、すでに婚約をしていた、関東の食品会社に勤務の英樹さんと結婚し、急遽『森喜酒造場』を継ぐことに。

『森喜酒造場』の自社ブランドとしては『妙の華』と『はなぶさ(英)』の2種がありましたが、もともとは大手酒造会社の下請けがメイン。
しかし、るみ子さん夫婦が酒造場を継いだ2年後の平成2年、その大手酒造会社からの契約を切られてしまいました。

『森喜酒造場』ではその頃は、蔵元兼酒屋さんとして営業。
焼酎や洋酒なども販売し、子どもを背負いながら商品を納品する日々・・・。
何度も蔵をたたもうと思ったそうです。
しかし、るみ子さんにとって酒作りの現場は、大変だけれど楽しい、やりがいのある仕事でした。
お酒を作る、というより、お米が麹と酵母の力によって変わっていく様子に、人の力を超えた尊い力を感じていたのです。
とはいえ、実際はすでに崖っぷち。
「もう続けるのは無理なのか・・・」
そう思ったそうです。

 

●漫画『夏子の酒』との出会い、尾瀬あきら先生との出会い

そんな時、知り合いが貸してくれたのが、漫画『夏子の酒』。
尾瀬あきら作の、日本酒ブームの火付け役となった漫画です。

「そんな、漫画なんていいことしか描かないに決まっている」

と思ったるみ子さんでしたが、試しに読みだしてみたところ。
当時の日本酒業界、蔵元の抱える悩み、女性が日本酒作りの関わることの難しさ・・。・

読み出したら止まらない。
読みながら涙が溢れてくる。

一晩で手元にあるだけを読みつくし、その晩のうちに尾瀬あきら先生へと手紙を書き、朝には講談社へと投函しました。
この行動力。
しかもその手紙が、尾瀬あきら先生に届いたことも幸運でした。

その手紙をきっかけに、尾瀬あきら先生や、知り合いの日本酒関係者が『森喜酒造場』を訪問。
なにかと相談に乗ってくれるようになったそうです。

 

●嵐の3日間で覚醒!

ある年の11月、父親とるみ子さん夫妻がケンカをし、るみ子さん家族は家出をして上京しました。
それを知った尾瀬あきら氏が、数日後に開催される『ここに美酒あり選考会』という日本酒のコンベンションへと誘ってくれたのですが、しかしこの時、るみ子さんは妊娠中。
そこでるみ子さんの夫である英樹さんが出席することに。
が、別の用事が入ってしまい、単身で伊賀へ帰宅してしまったのです。

結局コンベンションに参加したのは、るみ子さんと幼い次男、そしてお腹の中の赤ちゃん。
これには他の出席者も何事かと思ったらしく、何かと懇意にしてくれたのだとか。
そしてここから怒涛の3日間が始まります。
酒豪のるみ子さんは、他の出席者が勧めてくれる純米酒を飲みまくりました。
翌日は案内されるまま、埼玉県の『神亀酒造』へ。
ここは当時から純米酒のみを作っていた酒蔵で、ここでもるみ子さんは飲みまくります。
さらに翌日は『札幌銘酒倶楽部』に連れられて、郡山の蔵元へ。
そこでも純米酒を浴びるように飲んだるみ子さん。

そして彼女は、この3日間で目覚めてしまったのです。
そう、純米酒の世界に!

 

●とうとう誕生! 日本酒と娘!

なんと自宅に戻るなり、「これからは純米酒を作る!」と宣言。
翌年1月には、当時の全仕込量50〜60石の半分を、いきなり純米酒として仕込みました。
完成した純米酒は、数十本。
ちょうどその頃、るみ子さんも無事、女の子を出産。
(あれだけ飲みまくって、よくお子さんが無事だったなと、聞いている私がハラハラしました)

そこで、完成した純米酒の1本と、『森喜酒造場』の遠景、お子さんを抱くるみ子さんの写真を尾瀬あきら氏に送ったところ、送られてきたのが・・・

 

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このイラスト。
完成した純米酒にまだ名前が付いていなかったため、当時の自社ブランドであった『たえのはな』の法被を来ています。
そして、抱かれていたはずの赤ちゃんはお猪口に!

イラストに誕生した純米酒の名前をつけるにあたり、尋ねられて口からポロッと出たのが『るみ子の酒』。
これがそのままブランド名となりました。

「『夏子の酒』をもじったものではないか...という意見もありましたが、
これほど的確なネーミングは他に見当りませんでした」

と、当時の尾瀬あきら氏のコメント。

 

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自社の危機に立ち向かい、新しい日本酒を生み出したるみ子さんに、ぴったりの力強いネーミングです。
平成4年の誕生以来、『るみ子の酒』は『森喜酒造場』を代表する銘柄となりました。

しかし現在までの道のりは決して楽なものではありませんでした。
一番大きな危機は、2年目にして杜氏がやめてしまったこと。
しかし英樹さんが滋賀県の酒蔵の息子さんで、大学で発酵工学科を専攻していたのが幸いし、杜氏代わりの責任者に。
製薬会社に勤めていたるみ子さんが麹造り責任者となることで、危機を回避しました。
その他にも、

「いつでも何かが起こって大変でした」

と、笑うるみ子さん。
実際、私たちがおじゃました日も、冷蔵庫が故障し、庫内が30度近くに上がるというアクシデントが。
お話を伺っていた矢先の出来事だったので、本当に驚きました。

人生波乱万丈・・・しかし物事を切り拓き、運を呼び込んでくる人だと感じました。
もちろん「運」とは言っても宝くじ的なものではなく、彼女が努力をして切り開くからこそ呼び込んでくるもの。

現在、『森喜酒造場』で作る酒は、すべて純米酒。

 

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さらに自分たちで米を作り、それを日本酒にするためにはじめた水田がこちら。
品種は日本酒に適した『山田錦』です。

「田んぼのトラクター係は私。
田んぼをするのは楽しいし、お酒造りも楽しいです。
私を漫画にしたら、きっと売れますよ!
夏子さんみたいにキレイじゃないけど」

 

常に前向き。
常に笑顔。

 

「『笑える日本酒作り』がモットーです(笑)」