熊野大花火大会。「大」が2つもつく三重県南部最大のイベントにサルシカ隊長オクダが初潜入!!

「熊野の花火大会にいきませんか??」
そんなうれしいお誘いをしてくれたのは、この隊長レポートに何度か登場している「クマさん」であった。
詳細は書かないが、このゲンキ3ネットにかかわる重要な関係者のひとりである。
熊野大花火大会。
三重の人ならばよく知っている夏のビッグイベント。
ウィキペディアで調べてみると・・・・・。
初めは盆の8月16日に木本町極楽寺の境内で、町内の篤志家が初精霊供養のため寄進をして行っていたものと言われている。
当時の呼び物は、柱松、柳子火車、金山寺、大流星など簡単な仕掛け花火で、中でも熊野独特の連星は、アマチュア花火師も参加して星の連なりの長さを競っていた。
明治10年には、21日に行われるようになったが、その後灯篭焼き行事もその日に行われ、豪華な藤の棚や仕掛け花火が一段と趣きを添えるようになった。
大正から昭和初期にかけては、市内に7~8軒の花火業者が隆盛を誇り、遠くシンガポールまで輸出するほどだったが、戦後は時代の推移とともに花火師も減少し、現在では唯一有馬町の和田煙火店のみとなっている。
昭和38年からは、旧盆明けの17日に実施するようになり、現在では紀州路最大のイベントとして夏の夜空をにぎわせている。
隊長のわたくしは、仕事もしがらみも、なにもかもすべてポーイと放り出し、「いくいくいく〜!」とお迎えの車に飛び乗ったのである。
大渋滞が熊野花火の名物??
津から伊勢自動車を南へ。
勢和多気ジャンクションで紀勢道へ入り、尾鷲方面へ。
交通量は多かったものの、渋滞はなく、順調に尾鷲に入ることができた。
花火開催による交通規制により、尾鷲と熊野をつなぐ熊野尾鷲道路がバスやタクシーを除いて全面通行止めのため、国道42号にて熊野へ向かう。
険しい山を切り開いてつくった道をすいすい走る。
順調。
「なんだなんだ、熊野の花火は大渋滞だって聞いてたけど、ぜんぜん渋滞してないやん。みんな大げさなんだから」
エアコンの効いた車中で、わたくしは拍子抜けしていた。
が・・・・。
熊野まであと6キロ・・・というところで、車が止まった。
ピタリと。
じりじり30センチほど動いたかと思うと、しばし停車。
そしてまたじりじり・・・・。
Googleマップに目的地の熊野市役所を登録してみると、わずか6キロ先なのに1時間半かかると表示されている。
出たあ、これぞ熊野名物、花火渋滞。
が、今回はまだまだ可愛い渋滞である。
開催日が土日に重なったりすると、30キロを越える大渋滞となり、花火が打ち上がりはじめても到着できず、山の向こう側から響く花火の音だけを聞いて泣く泣く折り返すという人も出るらしい。
熊野の駅前。
市内全体に交通規制が敷かれていて、国道以外行き交う車は少ない。
が、人が多い。
めちゃくちゃ多い。
恥ずかしい表現をするならば、ゴールデンウィーク中の原宿のようである。
そして街全体がお祭りって感じ。
あちこちに屋台が出ている。
普段はシャッターを下ろしている駐車場でも、かき氷を売っていたりする。
林家菊丸さんが、熊野市民会館というところで出演しているというので、あいさつしに行ってみる。
菊丸さんは三重テレビでよくご一緒させていただいている上方落語の師匠である。
昨年、三代目菊丸を襲名。
恐れ多い人である。
その菊丸さんは、なぜかステージで「さんま音頭」を踊っていた。
前に後ろに手を揺らし、ステージを優雅に泳ぐのだ(笑)。
このあと、菊丸さんとわたくしは何を話せばよいのか。
さんま音頭の踊りについて語り合えばよいのか。
歌詞を吟味すればよいのであろうか。
考えると頭が痛くなりそうだったので、ステージで踊る菊丸さんをそのままにして会場をあとにした(笑)。
さてさて、
花火の会場へと向かおう。
町のあちこちから、人がぞろぞろ集まってきている。
ちなみに熊野市の人口は2万人。
それが、花火大会のときには20万人に膨らむことがあるという。
なんと10倍である!
わたくしの席は、なんと堤防の上に特別に設置された桟敷席!!!
花火が打ち上がる海が目の前に広がっている。
屋台もずらーっと果てしなく続いている。
なんだなんだ、この規模は!?
とても三重県のイベントとは思えない規模だ。
ところで。
三重を駆け巡り、三重で遊び、三重の魅力を伝えるサルシカの隊長のわたくしであるが、恥ずかしながら熊野の花火大会に来るのは初めて。
「熊野の花火はすごいらしいですよ〜、一見の価値ありらしいのでぜひ行ってみてくださいよ!」
「渋滞するんで、早めに出たほうがいいですよ〜」
などと、無責任な案内をしていたのだ。
話は桟敷席に戻る。
眺め最高。
気分も最高。
浜にいるたくさんの人を見下ろし、むふふふふと愚かな優越感にひたる(笑)。
が、上には上がいる。
沖に豪華客船が4隻も停泊している。
きっとエアコンの効いた客室やバルコニーのテーブルで、シャンパンやらワインを飲みながら、優雅にこちらを見ているのだ。
「雨の心配をしながら、この暑いのに浜辺で大変だねぇ」
などと笑っているのだ。
「ねえ、あなた、キャビアを召し上がる?」
「お、いいねぇ」
などとやってるに違いないのだ。
くやしい。
で、この立派な桟敷席を用意してくれたクマさんに、
「来年はぜひあの船で見たい」
と、言っておく(笑)。
陽が落ちて、いよいよ熊野大花火大会がはじまった。
花火を打ち上げるのは、沖に浮かんだ2つのイカダ、そして鬼ヶ城の3ヶ所。
最初は1ヶ所ずつ打ち上げていくので、まあこんな感じかなあと思っていたが、2ヶ所、3ヶ所と連続してあがりはじめると、その迫力に感動する。
そして熊野大花火大会の名物、海上自爆。
すごいネーミングである。
これは海上に設置されたイカダの上で打ち上げずに爆発させる花火。
海上に見事な半円が広がる。
光の炸裂が海に反射し、幻想的に美しい。
花火を打ち上げている時間はおよそ1時間半。
後半になればなるほど、どんどん豪華になる。
写真にはないが、圧巻は3尺玉の海上自爆。
なんと玉の重さ250キロ。
直径600メートルを越える花火が炸裂するのである。
炸裂した瞬間。
地響きがする。
そして爆風を頬に感じる。
すさまじい迫力。
熊野大花火のフィナーレを飾る鬼ヶ城大仕掛は、まさに圧巻のひとこと。
この迫力は、とても言葉や映像では表現ができない。
わたくし、東京隅田川、多摩川、津、久居、あとさまざまなところで花火を見たが、呆然とするほど見惚れたのはここがはじめてだ。
それほどにすごかった。
この体験をするために、渋滞や人混みを乗り越える価値は十分にある。
花火を終えた帰路。
鬼ヶ城のトンネルを徒歩でくぐり、駐車場へと・・・・。
このトンネルが最後の地獄であった。
風がぬけず、人の体温でサウナのようになっている。
ビールに酔い、花火にしびれた身体で、そこをひたすら歩いた。
汗が滝のように流れる。
意識が遠のきそうになる(本当に)。
ようやく出口。
1歩外出ると、心地良い夜風が吹いていた。
たぶん来年もここへ来る。
一部の花火の写真/松原豊