FM三重『ウィークエンドカフェ』2016年9月24日放送

今回は『志摩ロードパーティ2016』実行委員会の岩崎充宏さんがお客様。
今年で11回目を迎える志摩ロードパーティですが、岩崎さんはこの大会の発起人。
志摩青年会議所の結成15周年の記念事業として第1回目が行われました。
それから11年。
大会の規模も大きくなりコースも変わりましたが、スタートの頃のメンバーは今でも携わってくれています。
あの第1回目のことは、今でも鮮明に岩崎さんの心の中に残っています。

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ランティアに励まされるのが嬉しいと、参加者のみなさん

この大会の魅力は「ボランティアのみなさんに励まされた」という参加者の声が一番多いこと。
ランナーに心が伝わってボランティアの人たちに「気持ち良く走ることができた、ありがとう」というシーンが、大会の一番の魅力。
志摩市内6万人の人口の街で、約1000人以上がボランティアに参加しています。
全人口からすると、考えられない割合だと思います。

 

催第1回は2005年

『志摩ロードパーティ』の前身となる第1回目が開催されたのが、志摩市5町が合併した翌年の2005年。
合併を記念してマラソン大会をしようと、私たちが声を上げて始めた大会です。
今とはコースが違い、ともやま公園がスタート・ゴールとして、風光明媚な景色を楽しんでもらいました。
フルマラソンにこだわった大会で、800人ほどのエントリーがありました。
正直手作りの大会なので、道路規制や地域住民への説明、行政などの調整、などに時間がかかりました。
42.195kmのコース設計に本当に時間がかかって、充分なことをできず、みなさんにご迷惑をおかけしながら、第1回の大会を迎えました。
前日になってもコース確認が取れていなかったり、マニュアルもできたばかりで、それでも安全だけには気を使いながら、スタッフのみなさんのお陰で実現することができました。

第2回からは、志摩スペイン村がメイン会場になり、コースも変わり今日に至ります。
本当のことを言うと準備がとても大変で、2回目をするのは無理かもと思いました。
それが大きなスポンサーがついてくれることになり、協力してくれる人も増えました。
志摩を良くしたいという企業、市民のみなさんがたくさんいました。
今はマニュアルも確立され、充実した大会運営が行われています。

 

動したホノルルマラソンを志摩で再現したい!

私は陸上をやっていたため、いろいろな大会に出ました。
『美し国駅伝』でも、志摩市のランナーとして走らせてもらっています。
そんな私が、一番思い出に残っているのが21歳の時に参加したホノルルマラソン。
大会の雰囲気や地元住民のおもてなしの気持ちを体で感じ、とても感動しました。
志摩も風光明媚な地域なので、ホノルルマラソンみたいなことができないかなと、その時に初めて思いました。
それで志摩青年会議所のみなさんが、ホノルルマラソンに行くツアーをしたという話を聞き、ちょうど5周年事業で会員拡大がありまして、それにうまくひっかかったというか。
いつの間にか志摩青年会議所に入会をしていました。
先輩の話を聞いていると、みんな楽しそうにホノルルマラソンの話をしているんですよね。
マラソン大会をみんなでやったら面白いんじゃないかと思ってきたのが、その時期ですね。
その頃はまだまだブームにはなっていませんでしたが、自分が見てきたマラソン大会が地域との一体感があるというか、参加者とボランティアの双方が垣根を外して一つになれるというのを体感していたので、街づくりには向いていると思いました。
志摩青年会議所の中で合併への運動が起き、2004年に合併しました。
しかしそれ自体が目的ではなく、合併することでよりよい街を作ろうというのが一番の目的。
合併してからスタートなんだぞと、常々聞かされていたので、何かしないといけないという気持ちがそのころありました。
志摩5町の垣根を外して参加する人におもてなしする気持ちを培ったら良い大会になるのでは、と思いました。

今年は、パールロードを走る15キロのコースを中心に来年、伊勢で行われる
お伊勢さん菓子博を記念して『お菓子ラン』というメニューも増えました。
春の志摩もいいですが、秋の志摩も素晴らしいですよ。

 

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ードパーティは障がい者も楽しめる大会

『ロードパーティ』という名のごとく、誰でも気軽に参加してもらえる大会として1回目からスタートしています。
心身に障がいを持っている方にも参加してもらっていますが、目の調子が悪い方でも潮風や波の音を感じられたという声も聞きました。
健常者のランナーも、良い景色を楽しめた、風光明媚なところを走ることができて良かった・・・という声をいただきます。
志摩のリアス式海岸の風景を楽しんで走ってもらっています。
毎年4月に開催されていたのですが、その頃は天候が不安定なこともあり、天気が悪い年もありました。
天気が悪くても毎年たくさんの方が参加してくれています。
普通は悪天候となると1割〜2割ほど、当日の参加人数が減るという傾向があるのですが、ロードパーティーに関しては1割も減らないんですよ。
そこがまたすごいなと思いますね。
私の記憶に残っているのは、特に雨と風が強い年があって、的矢大橋が走れないほどの状況で、スタートの位置を少し変えて開催したこと。
正直参加者から、「なんでこんな天気でやるんだ」と怒られるかと思いましたが、むしろ「やってくれてよかった」と声をかけてもらい、励ましの言葉ももらったので、本当にやって良かったなと思いました。
私は本当は中止したほうが良いと思ったのですが(笑)。
それくらいの雨と風でした。

 

くさんの人の応援のなか走ってもらいたい

マラソンは本当は一人でする競技。
孤独なときもあるし自分との戦いですが、助け合ったりまわりの人と一緒に走ることによって、気持ちよく走ることができます。
自分が一番重要視するのが、誰も居ないところを走るよりは、たくさんの人と一緒に走りたいというのが気持ちとしてあるので、たくさんのボランティアを配置しています。
またパールロードには民家がないので、飯浜の地区のみなさんには大変ご迷惑をかけるのですが、あそこだけはたくさんの方が応援してくれるので外したくありません。
他にもコースの途中で太鼓の演奏応援があったり、昨年からはフラダンスもあったり、映像ステージにもたくさんのスタッフを配置したりキッズランナーと最後のゴールまで一緒に走ったり。
コース上のランナーの励ましに重きを置いています。

 

んなで力を合わせて愛される大会に

『志摩ロードパーティ』を作る苦労がわかりまして、こういった大会に参加するときはスタッフのみなさんの苦労に感謝をしながら走るようになったので、今までとは違った大会参加の気持ちがあります。
来年以降、ハーフマラソンは4月の大会ということでまた戻ってきますので、今まで通り常連のみなさんには参加してほしいと思いますし、一番最初にこだわったフルマラソンもしたいなとは考えているんですが、なかなかハードルが高く。
これからみんなと力を合わせて、ハーフマラソンがフルになるのか、もしくは違うスタイルのものができるのか、考えていきたいと思います。