第155回『サルシカ隊長レポート』2016年11月

およそ3ヶ月ぶりの隊長レポート!
軽キャンカーを手に入れたサルシカ隊長は、「財宝を追うのだ!」と声高らかに鳥羽へと向かった!

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3ヶ月もの間、この「サルシカ隊長レポート」をサボっていたのだ。

決して忙しかったわけではない。

パックラフトというゴムボートみたいなカヌーを手に入れたので川下りをしなくちゃいけなかったし、7月からずっと軽バンのキャンピングカーをつくっていたりして、まあつまりは遊び過ぎであったのだ。

その軽キャンがついに完成し、移動オフィス兼ベース基地兼休憩室となる、つよーい味方が登場したのだ。

「さあ取材にいこう!!」
「軽キャンのNEWサルシカ号で行くのだから、冒険だ、アドベンチャーだ!!」
「そうだ、探検だ! 宝探しがいい!!」
「いくぞいくぞいくぞ〜!!!」

わたくしひとり、モーレツにゲンキに軽キャンに乗り込んで出立したのであった(笑)。

 

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到着したのは、鳥羽の中之郷駅。
「鳥羽水族館前」という副名称がある通り、駅前から鳥羽水族館が見える。

その駅横のコインパーキングに黒くてにくいやつ、サルシカ軽キャンをとめる。

 

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そこから線路に沿って、鳥羽駅方面へと歩く。
すると、こんなトンネルが!!

いいぞいいぞ! 探検って感じがしてきたではないか!!

よーしよーし!
軽キャンで散財してしまったから、今回の取材でお宝をゲットし、金銀財宝に埋もれてウワハハハハハと笑うのだ(笑)。

 

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てなわけでやってきたのは、九鬼城跡。

「は? 電車からもよく見えるお城の公園ではないか!」
「そんなところで財宝探しだと!!? ふざけるな、コノヤロ!」

まあまあ落ち着いて。

まずは九鬼城跡、鳥羽城の説明をせねばなるまい。

鳥羽城は、織田信長と豊臣秀吉の元で活躍した九鬼嘉隆(くきよしたか)が、海に突き出た標高40メートルほどの小山に築いた海城である。
各地で活躍し、恐れられた九鬼水軍の拠点であるからして、海に面して大手門があったという。

跡地は小学校となり、本丸は運動場として使用された。
現在は小学校も移転され、城跡公園として地域の人に親しまれている。

 

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その本丸にこんな巨大な大井戸があるのだという!!

直径2.7メートル、深さ17メートル。
岩盤を削って掘った素堀の大井戸。

実はこの大井戸にはこんな言い伝えがあるのだ。

城址の東方70間隔てた海中に相島と称する小島があり、その森には弁財天が祀られているという。
天守の井戸には龍が棲み、その井戸は相島へと通じていて、龍はその間を行き来していたというのだ!

まさに龍伝説!

しかもその相島とは、現在のミキモト真珠島のことなのである!!

龍と真珠!!
もうピカピカ光るお宝が見えるようではないか!!!

 

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九鬼城址の石垣を登ろうとすると、こんなパンフレットが。

鳥羽市文化財マップ。

そこには古銭の写真が・・・・・!!!

わたくしの推測は確認に変わった。
メラメラと欲望が燃えた。

 

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わたくしは石垣につくられた階段を一気に駆け上がる・・・。
うそ。
15段ほど登ったところで息が切れた(笑)。

 

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階段を登ると、整備された公園が広がる。
そこからの眺めはすばらしかった。

伝説の相島・・・ミキモト真珠島が眼下に見え、鳥羽の海が広がっている。
近鉄の電車が走り、海には観光船が浮かぶ。

「よいではないかよいではないか・・・」

鳥羽といえば、鳥羽水族館であり、ミキモト真珠島である。
みんな真っ先に海へ行ってしまうが、こうして少し離れたところから見下ろす鳥羽もいいもんだ。

 

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公園には船の形をした遊具があった。
思わず遊ぶわたくし(笑)。

以前は飛行機やら車やら、いろんな種類の遊具があったらしい。

 

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さて、それではいよいよ探検といこうか。
公園から少し坂道をのぼって本丸へといく。

 

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こちらが本丸。
天守は残っていない。

あるのは、すばらしい眺めだけ。

さて、肝心の大井戸を探さねば・・・・。
一体どこにあるのか・・・??

 

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あった!!!!

あったけど・・・・穴が開いてない・・・・!!!
うそん!
これどーいうこと!!!

実は九鬼城跡・・・鳥羽城の天守の大井戸の発掘調査が行われたのは、平成25年のこと。
本丸跡は長く小学校の運動場として使用されていたため、井戸にはコンクリートのフタがされ、ずっと眠ったままの状態であったのだ。

調査の結果、相島にはどうやら通じていないようだと判明。
そして調査のあと、またフタがなされ、閉ざされてしまったのだ。

 

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なんてことだ。
探検、調査をするつもりでヘッドランプまで用意してきたのに・・・・。
中を覗き見ることすら出来ないとは!!!

サルシカ隊長、奥田、がっくし。
九鬼水軍の財宝を追う調査はもはやここでおしまい(笑)。

 

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うなだれつつも、本丸を運動場として使用していた小学校へと行ってみる。

この鳥羽小学校は、鉄筋コンクリートの3階建。
文化遺産オンラインによると・・・・

 

旧鳥羽小学校校舎 きゅうとばしょうがっこうこうしゃ

三重県
昭和前/1929
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積1087㎡
1棟
三重県鳥羽市鳥羽3-1-60
登録年月日:20100115
登録有形文化財(建造物)
鳥羽港を望む高台に南面して建つ。正面67m、E字形平面の鉄筋コンクリート造3階建で、表面はモルタル仕上げとする。中央3階部分を背後の斜面上に張り出し、内部を大空間の講堂とする独特の構成。中央部分など随所にアールデコ風の意匠を施す。

 

とある。
なんと、登録有形文化財なのである。

 

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小学校としての役割を終えたのは、そんなに昔の話ではなく、平成20年のこと。
長い期間、ここで子どもたちが育まれてきたのだ。

古いが、歴史と味がある建物である。

いま鳥羽市では、この登録有形文化財である旧鳥羽小学校校舎の保存活用に向けて動き出している。
使いようによっては、地域の大きな資産になるに違いない。
ぜひとも今後の展開を見守りたいものだ。

 

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こうして、九鬼水軍の財宝を追うわたくしの探検は終わった。

九鬼水軍が残した宝・・・・。
それはこの城跡であり、地域の未来を担う子どもたちを育ててきた学校である。

「なにをキレイにまとめようとしてるんだ、バカヤロ」

そんな声が聞こえてきそうだが、他にまとめようがないのでこれで勘弁してもらいたい(笑)。

次こそ、三重の財宝を見つけるのだ!!

お近くのお宝情報ございましたら、ぜひとも連絡ください。
お待ちしております!(笑)