FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年2月11日放送

今回のお客様は『伊勢型紙協同組合』理事長の林庸生さんです。
鈴鹿にある鈴鹿市伝統産業会館に行くと、伊勢型紙のことがとてもよくわかります。
伊勢型紙は、友禅、ゆかた、小紋などの柄や文様を着物の生地に染めるのに
使うもので千有余年の歴史を誇り、現在は経済産業大臣指定伝統的工芸品用具の指定を受けています。
林理事長を始め、協同組合のみなさんは、この伊勢型紙を多くの人に広めるため様々な活動をされていらっしゃいます。

勢型紙の彫り方

掘る技術には4つのジャンルがあり、ジャンルごとに職人さんがいます。
引いて彫る『引き彫り』、刃を尖らせて向こうに向かって彫る『突き彫り』、花の形をした道具を作り、それを使って彫る『道具彫り』、丸い穴を開ける道具を
使った『切り彫』、三日月型の道具を使い一回転させることで丸く切れます。
引き彫り、突き彫り、道具彫り、切り彫りという4つの方法があります。

 

づくりの良さが見直されてきている

最近、他の分野を含めた伝統工芸品、そして伊勢型紙を使った小紋や日本手拭いなど、手づくりの良さが見直されてきています。
伊勢型紙は繊細な仕事。
彫っている職人さん自身も、同じものが二度と彫れるかどうかというくらいの細かさです。
技術の極致を求めた時代、江戸時代の中期に伊勢型紙の華が咲きました。
資料はありませんが歴史は室町時代からだそうです。
白子の観音様は1300年の歴史があるのですが、伊勢型紙の原点はその観音様だと言われているので、諸説を総合すると1000年以上の歴史があると考えられています。

 

勢型紙の歴史

この、鈴鹿という地域は漁業・農業・林業が盛んで、それ以外に目立った産業はあまりありませんでした。
農閑期に内職で縄を編んだり草履を作る以外に、布を染めるための型紙を彫るようになったようです。
最初は農閑期にしていたものが、時代とともに、農閑期どころか型紙彫りが忙しくなってきて、そこで専門の職人が誕生したと。
その後、何百年も続き専属の職人が増え、商いする人が出現し、それを保護する和歌山藩とのつながりがあって、型紙が全国へと広まりました。
鈴鹿は海の運送が栄え、千石船が何十隻とあった時代もあったため、それを利用して全国に広まっていきました。
ここから全国の紺屋さんへ型紙が行きます。
紺屋さんも都会だけではなく、田舎にもポツポツとあったわけです。
そうするとそういう人たちも型紙の模様についての情報、つまりファッションの情報が欲しいわけですよ。
なので型紙屋さんは重宝がられたんですね。
それで型紙の商人はそういうところに行ってニーズを掴み、必要な柄を職人さんに彫ってもらって納めて、その繰り返し・・・お互いにウィン・ウィンの関係になっていました。
型紙屋さんも職人さんも盛んになり、紺屋さんはそれを頼りにどんどん新しいファッションを世に出していったんです。

 

ンランショップからのオファー

現在、アートとして伊勢型紙に興味を持つ企業が増えつつあります。
昨年、東京のコンランショップから伊勢型紙と新しい商品を作りたいとの申し出がありました。
我々、最初はコンランを知らなかったんです。
実際に行き、隣にどこかのおじいさんがいるなと思っていたら、それがコンランのお偉いさんでした。
レセプションが終わった後に紹介されて、名刺交換して帰ってきて行政の人と話していたら、「コンランがどんな会社だと思っているんですか?」と言われて。
インターネットで調べて、初めてすごい会社だとわかったんです。
そんなところから話が来るとは思っていませんでした。
夢が現実になるような、新しいデザインを提供してもらえるのかなと。
最終的にはユニークな照明機材に、伊勢型紙の手彫りの模様を張った商品が誕生しました。
あまり一般のご家庭向きではありませんでしたがね。
これからは他の商品や職人も含めて、インターネットに投稿して、もっと世の中に広く周知していきたい、そのための作業を、今しているところです。
外からのコラボは初めてのチャレンジでしたが、これからもまた専門家と一緒になって何かすることがあるかもしれません。
正直、お金もかかるし大変です。
我々関係者もみんな年を取ってしまって、口は出すけど足が動きにくくなっています。
しかしそうは言っても可能性にチャレンジしていきたいと考えています。
現在も大手のデパートから、伊勢型紙の文様を使って商品を作りたいというオファーが寄せられています。

 

ーロッパの人が興味を持つ伊勢型紙

我々当事者は、伊勢型紙を着物を染めるための道具としてしか捉えられず、それ以外に発想を変えて見ることができませんでした。
しかし世の中の人、特にヨーロッパの人は型紙の模様に対してとても興味を持ってくれます。
それを知るきっかけとなったのが三重県立美術館の学芸員である生田さん。
彼女はロシア、イギリス、フランス、アメリカなどに行き、そこで保管されていた型紙を研究。
道具としてではなく、その模様を使いたということで、いつの頃からか海外に持ち出されていたんですね、浮世絵や版画と同じように。
それらの影響を受けたガレなどの作品の展覧会が、数年前、東京の三菱一号館や三重県立美術館、京都の近代国立美術館で開催されました。
それが予想以上の大盛況。
ということは、我々が思っていた以上に型紙とその模様に対して想いを持っている人が多かったんだなと。
我々は一体これまで何をしていたのだろうと思いました。

 

勢型紙の可能性を追いつづけて

今、型紙を使って染めるということはほとんどないと思います。
なので言い方を変えると、伊勢型紙の需要はなく、役割を終えたと言っても過言ではありません。
だからこそ、新しいユニークな注文が来れば、我々は嬉しいです。
その需要を喚起するために一生懸命可能性を追って、伊勢型紙を知ってもらおうと、今もがんばっています。
その一つが、鈴鹿市内の小学4年生を対象に行っている伊勢型紙の体験講座。各小学校に行って指導をしていますが、子供たちの集中力は想像以上です。
毎年11月に伝統産業会館で行うイベントに来てくれる人の数も、年々増えています。
伊勢型紙の可能性、これからももっともっと広めていきたいです。