FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年9月16日放送

菰野町竹成地区の集落の中心に大日堂があります。
ここの敷地には高さ7メートルほどの小さな山があり、ここに469体もの石仏像が。
これが竹成五百羅漢。
閻魔大王に七福神、松尾芭蕉、そして神様も仏さまも石像となって置かれています。
お釈迦さまは菩提樹の木の下で座禅を組み、悟りを開いたと言われています。
こちらの大日堂にも、大きな菩提樹の木があります。
葉っぱはハートのかたち。実が落ちるときは、葉っぱも実も薄い茶色になり
クルクルと回転しながらゆっくりと地面につきます。
このはかなさがなんとも言えませんね。
今回のお客様は『菰野町竹成観光協会、大日堂五百羅漢』役員の岩花和正さん、総務の伊藤功一さん、服部紀敏さん。
伊藤さんは現在こちらの責任者。
13年間、ここを訪れる人をご案内しています。

                 左から 服部さん・伊藤さん・岩花さん

百羅漢の完成は江戸末期

岩花 菰野町は圧倒的に湯の山温泉やロープウェイが有名ですが、2番目はここの大日如来像と五百羅漢が有名なんじゃないかな、と私は思っています。

『五百羅漢』の完成は江戸末期、1852年〜1866年までの15年間で作られたと言われています。
五百羅漢信仰は江戸時代に流行った文化なので、どこの五百羅漢に行っても完成は、ほぼ江戸時代。
こちらでは現在、469体残っていますが、完成したときは620体あったそうです。
明治9年に起きた『伊勢暴動』でお堂は消失し、石仏も150体ほど紛失。
どうやって作られたのかどう配置したのかなど書かれた資料も、みな消失してしまいました。
今わかっているのは半分ほどで、背中に尊像の名前が書かれています。
もともとこちらは真言宗のお寺で、作られたのは神瑞和尚という方。
五百羅漢が500体と、真言宗ということで密教系の石仏が100体。
なので完成したときは620体ほどあったと。
自分自身に似ている石仏があると、どこの五百羅漢でも言われていますね。
私の個人的な解釈だと、昔、写真のない時代に、ここに子どもや孫を連れてきて、先祖であるおじいさんやおばあさんはこんな顔をしていたんだよ、と説明に使ったのではないかなと思っています。

 

日如来像について

伊藤 このお堂そのものも戦火で焼けているので、資料は残っていませんが、昔の人たちによる言い伝えによって歴史を刻んできました。
大日如来も2体あるのですが、1つの場所に2体あるのは非常に珍しいことなんです。
全国的に見ても数が少ないと言われているので、とても誇らしいです。
本当に菰野町の竹成にしかない如来さんだと思っています。
2体で1対というイメージをすごく強く感じるというか。
1体1体ではなく2体ある事自体が一番素晴らしいと思います。
歴史的にはそんなに深くなく、作られたのは文明11年で、今から500〜560年前。
竹成のみなさんが代々、戦火や事故の中、お寺を崇めて2体を守ってきた努力があったことを思うと、自分たちも力の許す限り守らなければなりません。
さらには地域外の人、県外や全国の人にも知ってもらいたいですね。
こちらは竹成区の持ち物で、住職はいません。
照空上人(神瑞和尚)さんが今から150年ほど前、五百羅漢を作るために住職として入られましたが、それ以降はいません。
無住職だからこそ地域のみなさんが信仰を守り、そして協力してもらい、立派に引き継いで来ました。
地域にとっての文化財を守る気持ちの現われだと思います。

 

は近所だが、案内するようになってまだ4年目

服部 家は本当に近くで、小さな頃からここが遊び場でしたが、大人になってからはまったく来ていませんでした。
昔、おばあさんに連れられて来たくらい。
4年前に役員が当たって、それからベテランの方と一緒にやっているうちに、これはちゃんと覚えなければと。
立派な本も出してもらって・・・読んでいるときはいいのですが、ちょっと経つとまた忘れてしまう。
これは毎日の積み重ねでしか覚えることはできないと思いました。
ベテランの人にかなうわけがありませんし。
しかし訪れる人と話すだけでもおもしろいです。
先日は愛知県一宮市からお客さんが見えました。
どうしても見たいと言われるので、平日なんですが開けたところ、こんなお顔の仏様は見たことがないと。
仏様はもっと、仏らしい顔をしているが、ここのはちょっと違うと。
なんというか、顔が柔和と言われたような・・・気が休まると言われました。
本当に良いところです。

 

曜日は地元の老人会のみなさんがお茶のサービスなどを

岩花 毎週日曜日に、地元の老人会の方たちが来てくれて、さらにそこにお友だちが集まってきます。
時間を楽しく過ごせるように、テレビやこたつが置いてあります。

伊藤 そういった意味で、大日堂というこの場所そのものが、憩いの場所となっています。
毎週日曜日には堂守ということで、老人会の人たちに来てもらって大日堂を開け、お茶などのサービスをしてもらっています。
ここでみなさんの生活の輪を広めるとともに、羅漢さんや如来さんに対して敬いの気持ちを持ちながら、地域全体でお守りをしていくというのが、ここの運営の仕方です。
また、お年寄りだけでなく若い世代もということで、5月には藤の木の下でお茶会を開催したり、小学生に写生大会をしてもらったり・・・。
ちょうど1週間ほど前ですが、子どもたちの夏休みの宿題の一つとして歴史研究の手伝いをしようと、郷土史の再発見などの催しも行いました。
地域の人全体で集まって盛り上げていく取り組みをしています。

この地域の人たちはやはり、小さい子どもからお年寄りまで「大日さん」と親しんできたので、これからも大切にしてきたいと思います。