FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年10月14日放送

鈴鹿山脈の素晴らしい景色に囲まれ、古くから城下町・宿場町として栄えた亀山のまち。
今でも交通の要として、たくさんの人が行き来する場所です。
商店街や東海道沿いにあるアート作品の前で熱く芸術について語るアーティストと観光客の人と地元の人。
そんな光景を見て、微笑んでいらっしゃるのが今回のお客様、森敏子さん。
アーティストでもある森さんが、活動を始めて10年。
大きな芸術の祭典となりました。

タートは2008年に開催した『アート亀山』

だんだんとシャッターが増えて空洞化していく商店街で、2008年から『亀山トリエンナーレ』の前身となる『アート亀山』を開催しました。
今でこそ現代アートが注目されていますが、亀山は三重県内でもトップを切りました。
というのは、この商店街はホワイトキューブが並んだような丘の上の白い町なんですね。
シャッター通りになるのを寂しく思っていた私と、友人である呉服店の女将さんで何かしようと、2007年の1年間、空き店舗をお借りして、実験的にギャラリーを開いてみました。
そのころはこちらの液晶メーカーがとても好調で、フィリピンや中国などから、たくさんの研修生が亀山に来ていて、商店街のギャラリーがその人たちの居場所になったようなんです。
私の知り合いの作家が、彼女たちの似顔絵を描いたりしていたところ、週末ごとにギャラリーを訪れてくれるようになって、お国のお料理を作って持ってきてくれたりと、国際的な交流ができました。
その時に、アートが人と人を結ぶ、とてもわかりやすいツールだということに気づき、何かできそうな予感がしました。
そこで私が当時所属していた『アートフォーラムみえ』のメンバーに働きかけ、2008年に『アート亀山』を開催しました。
その時は今のようなコンペ方式ではなく、『アートフォーラムみえ』の会員だけで、会場もこの商店街だけで。
2010年から全国に向けてコンペティションを開催しました。

 

山の魅力を再発見

私は亀山生まれの亀山育ちでウン十年。
他から来た人が亀山の小さな路地だったり崖だったり、今まで意識したことのない空き店舗などの魅力を再発見してくれるんですね。
ちょっとさびしくなったこの商店街ですが、これは亀山が人々とともに育んできた一つの細胞だと、ある作家さんは言いました。
細胞が集まってこの町ができているので、それを見つけられるのは嬉しいことだと。
その言葉はとても嬉しかった。
違う人から見たらとても魅力的なものを、地元の人は気づかないということもありますし、ないものをねだってもしかたないです。
あるものを活かして文化発信していく時代だなと思います。

現代アートは現在アート。
今を生きる作家たちの息づかいを感じられる場所がここにたくさんあります。
若手作家たちの登竜門としても広く知られるようになり、今回も多くの作品が
亀山のまちを彩っています。

現代アートの作家さんはきれいな壁面に作品を並べるのではなく、アートの実験をしたいんですね。
だから私たちが想像するきれいな場所ではなく、自分たちで見つけて、その変わり用に驚かれると思います。
どこにでもあるホールなどは、現代アートの人たちにとっては、今やそんなに魅力的ではないような気が、私はします。

 

々なアートを楽しむことができる

37ヶ所に102組、総勢150人ほどが参加する、今までで一番大きな規模の開催ですね。
九州から北海道から・・・。
北海道の方は3週間ずっと滞在して、ワークショップをしながら作品を展示しています。
期間中ずっと公演で大理石を彫っている森本さんという方もいます。
また、子どもたちが公園で遊べるような作品を出品してくださった方や、いろいろなバリエーションに富んでいます。
最終日まで、楽しんでほしいと思います。

土日は駐車場もいっぱいです。
水色のパンフレットを手に町をめぐるお客さんたちの光景を目にして、事務局、実行委員会として感慨深いものがあります。

閉店した床屋さんを借りたデザイン関係の男性がいるのですが、そこの大家さんがこのままにしておいてくださいと。
散らかっていて雑然としていた店が、こんなにスタイリッシュになるなんてと、とても感動して。
亀山とは思えない、表参道にあるお店のように変身しているんですよ。
蔵を貸した大家さんも、パーマネントのお店のままでいいよと。
あれだけ時間をかけて作ったのにもったいないから、来た人にもっと見てもらおうと。

私の次の願いは、あちこちにアートが点在している町。
7年前から、商店街からお借りしたスペースを『7デイズギャラリー』と称して毎月1週間だけギャラリーとしてオープンしています。
最初に利用したのは『魔女』というグループなんですが、今はもうすっかり定着して県内外からファンが来て、作品を買ってくれます。
作品が『買える』ということも知っていただけた。
生活の中にアートがあり、日常の中に脱日常がある・・・そういう町にしていけたらと思います。

 

界へ発信できていることに喜びを感じる

次の構想として、関宿と棚田と、この城下町である亀山宿を結んでループバスを運行し、いろいろなところにアートを展示したいですね。
夢がどんどん大きくなります。
行政との協働や住民たちの協力・・・課題はたくさんあるように感じます。
しかし今年やってみて、課題と思っていたことは課題ではなかったんだと。
やっていけばみなさんが協力してくれる・・・それを強く感じたトリエンナーレでした。
人が生きるというのは、やはりパンのみにあらずで、なにかプラスαが生きる力になるんですね。
お店のおばあちゃんがアーティストにお茶を出してくれたり、町の人が差し入れしてくれたり・・・物ではなく言葉の差し入れでもいいんです。
「こんなに若い人が商店街を歩いてくれるのは何年ぶりかしら」と。
喜んでくれているということをひしひしと感じています。
自分に対して課題と思ったらダメだなと思いました。
トリエンナーレが終わってしまうと、アート・ロスになりそうです。

でもここまで来て、実行委員としての自信が持てました。
今はSNSがあるので、こんなに小さな町でもネットでの配信が可能です。
世界への配信も可能なので、思わぬことができたりします。
メキシコから大きな石を持ってきて武家屋敷に展示しているファルコンさんという人が「夢のようだ」と言っています。
また、ニューヨークから来たノートンさんという方は、日本のトラディショナルな家屋にとても憧れていて、同じく「夢を見ているようだ」と。

実はファルコンさんが来日してから、メキシコの大地震が起きたんです。
なのでファルコンはこんな大変なときに、自分の楽しみのために来日したような後ろめたさがあったそうです。
私がメキシコの作家が来るとわかって実行委員会さんからのアドバイスを受け、すぐに募金箱を作ったところ、その募金箱を見て、涙を流して喜んでくれました。
その動画を上げたところ、メキシコ大使館がすぐにシェアして、今や19万回再生回数となりました。
ジーンと来ますね。
来た方も募金してくれていってくれて、本当にありがたいです。
お金といえば、アーティストさんたち、みなさん自腹なんですよ。
北海道からも自腹です。
ただ、滞在費用がかかると大変なので、私や実行委員さんの家の離れや空き家を提供しています。
それでも材料費から交通費など、とてもかかります。
でも亀山に来たい・・・そう思ってくださることに感動します。

 

つての夢が叶っていることが嬉しい

どんなところでも情熱さえあれば、文化発信はできます。
今日のこんな賑わい、10年前は夢でした。
けれど、夢は叶う。
そのためにはまず、自分が楽しまないと。
事務局長を引き受けると、家族も犠牲にすることになり、実際は大変です。
でもその家族である夫も、今では率先してTシャツを着て飛び回ってくれています。
人を変えますし、自分の価値基準も変わります。
毎回来てくれている作家さんとは絆が深まり、ここで出会った作家さんたちが違う場所で個展を開いたりと、新しいことも始まっています。

人生って面白いなと思いますし、アートに触れられる人生を送ることができて嬉しいですね。