FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年4月21日放送

豪商のまち、松阪。
松坂城を築いた蒲生氏郷は、城を造ると同時に城下町の整備をしました。
それは、商いを盛んにするための町づくり。
松阪駅からお城までのんびり歩いていけば、豪商と言われた商人の館が並び、その時代の暮らしぶりを垣間見ることもできます。
今回は『松阪市立歴史民俗資料館』の学芸員、杉山亜沙佳さんがお客様。
小津家のお話しをしていただきます。

津商店は江戸店を出して今年で365年!

『松阪市立歴史民俗資料館』では特別企画『紙問屋「小津清左衛門家」展』を開催し、松阪の中でも『豪商』と呼ばれる家の一つである小津家、『小津清左衛門家』を取り上げています。
松阪商人としていちばん有名なのは『三越』の三井財閥、他には小津家と並ぶ商家の長谷川家があります。
長谷川家は現在、『旧長谷川邸』として特別公開されています。
それから長井家。
こちらは現在見ることはできませんが、湊町というところにありました。
他の商家と同じように松阪木綿を扱っていました。
小津家は『江戸店持ち松阪商人』と呼ばれ、今の東京にお店を持っていました。
現在も同じ場所で『株式会社小津商店』の『小津和紙』として、和紙を扱った商いを行っています。
もちろん文字を書くための紙としても使えますし、障子紙なども扱っています。
江戸店を創業して、今年で365年。
こんなに長く続く商家は少ないですね。
今でも松阪と東京の『小津商店』の密な関係は続いています。
『松阪市立歴史民俗資料館』では小津家の当主を順番に紹介しながら、その当時の資料を紹介しつつ展示しています。
各々の当主の時代の出来事や道具など、全体を通して見てほしいですね。

 

綿、和紙、お茶を扱い万両箱があるほどだった!

創業の祖になるのは、三代目である小津清左衛門長弘です。
当時は江戸の大伝馬町・・・現在の日本橋本町にたくさんの松阪商人が集まり、松阪木綿の商いをしていました。
小津家は1653年に紙の店『小津屋』を開店、その後、隣接する土地に木綿の店『伊勢屋』、そして江戸本町にも、もうひとつ紙の店『大橋屋』を開きお茶や和紙の販売を行い、江戸で一番の紙問屋になりました。
『松阪商人の館』で見ることができるのは、『万両箱』。
今で言う、金庫のようなものです。
当時建っていた蔵の地下から発見されたもので、素材は青銅製。
なぜ『万両箱』と呼ばれるのかというと、『千両箱』が10個ほど入るくらいの大きさだったので、こちらでそう呼ぶようになりました。
今の金額で、15億円ほど入るサイズになります。
それだけ大きな商家だったことがわかりますね。
小津家を研究している方や、松阪商人全体を研究している方などが、訪れてきます。

 

素倹約な松阪商人

松阪商人は質素倹約で、お商売をするにあたって、従業員たちに向けて無駄にお金を使わないように・・・など、推奨すべきことやしてはいけないことなどの決まり事をキチッと決め、それを守りながら商売していました。
今回の特別企画では、その『掟書き』も展示しています。
どの商家でもそういった『掟書き』があり、決まり事ができています。
江戸時代では、大火や地震があったり、また明治維新以降の戦争など、松阪商人は激動の時代を渡ってきています。
そういった苦難の連続の歴史がありますが、その厳しい時代を、小津清左衛門家はいろいろな工夫をして、堅実な経営手腕で時代を乗り越え、今も創業当時の場所でお店を続けています。
それだけ長く続いている商家は少なく、小津清左衛門はとても商売の工夫を持った商家だと思います。

また、商家の主人たちは、江戸との行き来も多く、趣味や教養を高めるため、江戸の文化人と言われる人たちとの交流を大切にしてきました。
松阪の本宅で歌会や句会、茶会を開いたそうです。
御城番屋敷、そして旧家。
城跡から望む松阪の町の華やかな時代が見えてくるようですね。

企画展では、知られざる松阪の偉人として、みなさんに紹介したいと思います。