FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年9月8日放送

津市、千歳山の森の中に『石水博物館』があります。
ここは、川喜田半泥子の邸宅があったところ。
秋になると紅葉が色づき来る人の目を楽しませてくれます。
今回は、『石水博物館』の主任学芸員、龍泉寺由佳さんがお客様です。

晩年、多くの茶陶、抹茶茶碗を作り続けた半泥子。
その作品は、半泥子の豪快な性格を表すものが多かったそうです。

喜田家のコレクションと半泥子の作品を展示

『石水博物館』は、川喜田半泥子という人がベースを作った博物館です。
半泥子の家は川喜田家という伊勢商人の豪商の一つでしたので、川喜田家に伝わった歴史資料や美術品、それから陶芸家でもあった半泥子の作品をご紹介しています。
半泥子の本職は木綿問屋の当主でありながら、百五銀行の第六代目の頭取を務めた財界人でもありました。
忙しい日常の中でいろいろな趣味を持っていまして、そのうちの一つが茶の湯。
さらに茶の湯を極めるために自分で陶芸まで行ったという人です。
若い頃は写真だったり絵画だったり、大正時代から海外旅行にも行っていましたし、とても好奇心が旺盛でたくさんの趣味を持っていました。
そして最終的に茶の湯が大好きで、行き着いたところが陶芸でした。
本格的に登り窯を築いて陶芸を始めたのは、55歳になってからでした。
80歳くらいまで、戦前は千歳山窯、戦後は廣永窯で3〜5万点の作品を作ったと書いてあります。
ただ『石水博物館』に来られても販売はしていません。
すべて趣味で作ったものなんです。

 

の魯山人、西の半泥子

半泥子は『東の魯山人、西の半泥子』と言われたように、魯山人と比べられたりしています。
が、魯山人はお料理がベースにあって、それを極めるために陶芸をされていました。
対して半泥子はその作品の殆どが、お抹茶茶碗を中心とした茶陶となります。
作風としては、プロの作家ではありませんので、自分の好きなように作ったため『豪放磊落』などと言われたりしています。
豪快で、陶芸の常識にとらわれない作風として知られています。
人を楽しませるのが大好きで、おもてなし好きでサービス精神が旺盛でしたので、お茶席でお客さんに楽しんでもらうことを第一に考えていたようです。
お茶碗の銘(タイトル)も、自分で付けていました。
それがウィットとユーモアに富んでいて、面白い名前のお茶碗がたくさんあります。
川喜田家は半泥子が十六代目に当たりますが、江戸時代のはじめから江戸にお店を持ち、手広く商売していた木綿問屋です。
半泥子以前も代々、文化に造詣の深い当主がおりました。
和歌を嗜んでした当主、茶の湯をしていた人、本居宣長の門人になって国学を学んだ当主もおりました。
いろいろな当主が出ております。
また、半泥子のおじいさんだった川喜田石水という方は松浦武四郎ととても仲良しでした。
松浦武四郎は北海道の名付け親になった探検家ですが、武四郎の資料も石水博物館にたくさん残されています。

 

化財団を津につくり石水会館を作った

代々、伊勢商人は江戸で稼いで、地元の伊勢にそれを還元するという活動を行ってきました。
半泥子も地域貢献に力を入れており、その一つが文化財団を津の町に作るということだったんですね。
石水会館は昭和5年にできました。
三重県初の総合文化施設で、半泥子が私財を投じて作ったもので、当時としては地元の子供達に衝撃を与えた、画期的な施設だったそうです。
昭和5年当時の石水会館に行ったことがあるというおじいさんたちにお話を伺ったことがありますが、やはりとてもワクワクする施設だったそうです。
津という地方都市にそういう施設を作って、『本物を見せる』『本物を聞かせる』『本物に触れさせる』ということをしていたようで、年をとっても心に残っているという方が多かったようです。
そういうお話を聞くとこができ、ありがたかったと思います。
子どもの時に石水会館でミイラをみたという話を、20年ほど前に何人ものおじいさんから聞いたことがあります。
なんのミイラだったのかちゃんと聞いておけばよかったです。
それこそ海外から持ち込んだミイラだったとしたら、それはすごいことだと思いますし、やはり津の子どもたちにはとても衝撃的だったろうと思います。

 

間国宝を生み出した『乾比根会』

『乾比根(からひね)会』というのは近代の陶芸界に置いて、ちょっと特異な会でした。
半泥子と、後に人間国宝になられる美濃の荒川豊蔵、備前の金重陶陽、萩の三輪休和、この3人を昭和17年に半泥子の家に呼び寄せた会です。
それまでは陶芸をする人は職人さんが多かったのですが、職人さんが『作家意識』を持って活動していく転換点になったのではないかと考えられています。
その中心人物だったのが半泥子だったと位置づけられています。
今年の9月21日から12月2日まで、『川喜田半泥子と乾比根会』と題し、半泥子と人間国宝3人の作品を一同に集め、足跡をたどる展覧会を開催します。
4人が千歳山で出会う以前の作品と、昭和17年に千歳山に集ったときの資料と、
戦後、半泥子以外の3人が人間国宝になっていく過程で作り出された作品が、3段階に分けて紹介する予定です。

半泥子は向き合えば向き合うほど、付き合えば付き合うほどわからなくなっていく人。
だからこそ終わりがありません。