FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年11月3日

今日は、名張の歴史研究をしている『伊賀・隠史(なばりし)サイエンス舎』の代表、富田廣さんがお客様。
遺跡や史料、古い地図などを参考に名張のことを調べています。
富田さんたちの調査で重要なことの1つが『地名』です。
地名には、謎が解明されるヒントがたくさん詰まっているそうです。

退

職してから地域のことが気になり歴史好きに

私はもともと名張の人間ではなく、団地ができたため大阪から40数年前にここに引っ越してきました。
当時はまったく、この辺の歴史がわからなかったので、定年退職を機に調べだしたのが、歴史好きになったきっかけです。
生まれは淡路島で、古事記に載っている『国のはじまりのところ』なので、歴史に割と関心がありました。
最近淡路島も銅鐸が数多く出たりして、文献だけではなく、国の発祥地ではないかと実際に証明されつつあるように思います。
今から1500年前の継体天皇の時代に特に興味を持ちまして、そのあたりからはじめました。

 

の字を使っていたのは、名張がわからない国だったから

『なばり』を漢字で書く際、一番最初に使われていたのは、『名墾』という字なんです。
不思議ですよね。
難しい字です。
その次に出てくるのが壬申の乱に使われた、『隠』という一文字。
壬申の乱が終わった翌年からは今の『名張』という字になります。
一番不思議なのは、最初に出てきた開墾の『墾』の字を使った『名墾』。
調べていきますと、その当時、名張はまだまだ開梱されていない土地で、未開の土地だったようです。
その後の『隠』という字、諸説ありますが直感的に言うと、「わからない」という意味だろうと思います。
天武天皇がその字を当てたそうですが、やはり怖かったんでしょうね。
壬申の乱が始まる前に、ここを通過するときに『隠』の字を使っているんです。
『隠れると』いう意味よりも隠れた裏の『怖さ』を表現しているように思います。その後の話については、万葉集くらいの歌にはちょくちょく出てきます。
しかし、実際の内容は『隠れる』という意味なんです。
というのは、都の人から見れば、名張は隠れたような場所という印象があったのだと思います。

 

居神社の近くで地崩れがあったことがわかった

『伊賀・隠史サイエンス舎』では、古代地域史の中で気になるところがあるとそこへ出かけて勉強会や探索を行っています。
比奈知地区にある『名居神社』もその1つです。
『名居』というのは、地震という意味なんです。
ですから『名居神社』は、地震の神を祀っていると言われています。
しかし実際調べてみると、地震の神はまったく祀られていないんです。
その地域の方に聞いてみても、地震についてはまったくわからないと。
が、名居がある比奈知という地区の公民館の当時の館長さんが、地区の伝承をずっとまとめていました。
そこに書いてあるには・・・。
川の真ん中に大きな滝があって、それが那智の滝とほぼ同じ。
だから『比奈知』という地名がついたと書かれていました。
その滝が500年ほど前に洪水で崩れてしまい、まったくなくなってしまったと。
それが『名居』の名前の根拠の一つではないかと。
活断層を十数年前から地質学者が調べ始め、県庁の安全対策室から発表されたのが、やはり名張にも活断層があると。
推定活断層があると、ちゃんと書かれているんです。
しかし地震が起こったとはまったく書かれていないのです。
そういった資料を元にして、一番問題にしたのは地名なんです。
古い地名が残っているかどうか。
それから地形。
川。
名張近辺を調べたところ比奈知に、今でいう深層崩壊が数ヶ所あるのがわかりました。

 

見廃寺は、防衛の拠点とされていた

夏見廃寺は発掘調査されていますね。
実際は天武天皇が壬申の乱で勝利を上げ、天皇となってから、新しい東の守りとして名張の横川が日本書紀に地名として出ています。
こういう地名のあるところが夏見廃寺からここを含めて、新しい都の防衛の拠点となりました。
そしてこの後ろのところに御旗という古墳があり、そこからちょっと北側に神殿がありました。
江戸時代に開拓され、今はもう集落になっていますが、そのあたりが一番、後ろを守る騎馬集団の馬幕が作ってあるんですよね。
日本書紀で『政ノ要ハ軍事ナリ』とはっきり書かれているんです。
それと、当時の大臣クラスの人が、名張の防衛力を点検に来られているんです。
そのことからも発掘こそまだされていませんが、防衛の拠点ということが証明されるのではないかと思います。
地形と地名、これは非常に大事だと思いました。

名張の歴史を調べることが、人生の最後の仕上げになり、地域への功績になればと思い、活動をしています。