FM三重『ウィークエンドカフェ』2020年1月18日放送

三重県の伝統工芸品の1つ、擬革紙(ぎかくし)。
しわや、おうとつを作り和紙を革のように加工したものです。
明和町にこの擬革紙を使った煙草入れ資料館『三忠(さんちゅう)』があります。
今回は、館長の堀木茂さんにお話しを伺います。

革紙のはじまり

擬革紙は江戸時代に革に憧れたものの、革がなかなか手に入らないということで、代用品として和紙を加工して革に似せたものです。
もともとは『擬革紙』という名前ではなく、明治政府の工業政策で工業用語として出てきたものだと考えられます。
昔は『紙の煙草入れ』とか『かっぱ紙の煙草入れ』と呼ばれていたようです。
革を紙で真似したのには理由があります。
日本人は奈良時代からずっと肉を食べる習慣がありませんでした。
食べるといってもせいぜい猪や鹿を食べるくらい。
牛などもいましたが耕作用で、食べるという習慣がありませんでした。
ということで、非常に革が高価なもので、なかなか手に入るものではなかったんですね。
そんな折、豊臣秀吉の時代に、ヨーロッパから『金唐革』というものが入ってきました。
美しい模様が入っている金唐革は、ヨーロッパでは壁に貼られていたり、椅子に貼ったりする装飾用でした。
しかし日本では壁に革を貼る習慣がありませんから、手先が器用なのを生かして袋物にしたり、鎧とか、武具とかに付けて使い出したところ、それを見た一般の人も、その革に憧れたそうです。

 

革紙を考案したのは堀木さんの先祖

日本で煙草を吸う習慣がはじまり、それがどんどん一般の人にも広がっていきました。
煙草を持ち歩いたりするときに、布とか紙に包んでいると湿気ちゃいますよね。
それで油紙に包んで使うようになりました。
そうすると湿気らないと。
幸い、伊勢地方はお伊勢参りの旅人が多かったので、和紙に油を染み込ませた雨合羽をけっこう作っていたんです。
その雨合羽の余った紙を袋にして煙草入れを作ったところ、非常に好評だったそうです。
実際はどうかわかりませんが、擬革紙は私の祖先が考案したと言われています。
今からおよそ350年ほど前のことです。
松阪の稲木というところに『壺屋』さんというお店があり、そこが非常に商売がうまくて、煙草入れを売り出して全国的に広めていったという歴史があるそうです。
全国から人が来ますので、擬革紙を持っていたらみんなが憧れるし、持ち帰って、地元でも作っているんですよね。
江戸や仙台、岡山の方でも擬革紙を作っていたそうで、明治時代には全国的にいろいろな所で作られていたとのことです。

 

紙は強い。昔は美濃和紙で今は伊勢の和紙を使用している

普通のコピー用紙などはかんたんに破ることができますが、和紙は一本一本の繊維が長いため、裂こうとしてもなかなか破ることができません。
その強さを利用しているわけです。
もともとは岐阜県の美濃和紙を使って作っていたそうですが、今、私たちが作っているのは、地元の物を使いたいとの思いから、伊勢神宮の御札を作っている『伊勢松』さんにお願いをして厚い和紙を教えてもらい、その和紙を加工して擬革紙を作っています。
昔は美濃の和紙を使い、今は伊勢の和紙を使う・・・ということですね。
作り方は昔のものとほぼ同じです。
和紙に皺を寄せるのですが、その皺にも型紙があり、その型紙も和紙で作られています。
柿渋を何度も何度も・・・100回くらい、塗っては乾かすを繰り返し、型紙を作ります。
その型紙ができたら、一年間放置します。
なぜかというと、紙と柿渋が馴染んで、非常に丈夫な樹脂状になるんです。
その樹脂状になった紙に、擬革紙にしたい紙を間に挟んで、万力でくるくるっと巻いてから押さえつけます。
なんども方向を変えながらやっていくと、こういう皺が入るんです。

 

革紙の会が発足し、15名ほどのメンバーが集まって作っている

平成21年に参宮ブランド『擬革紙の会』が発足しました。
仲間が集まり、今は玉城町で作っています。
良いメンバーが集まってくれて、擬革紙を残すことに情熱を注いでくれているのは嬉しいことです。
メンバーは15人ほどいますが、平均年齢が高いということで、擬革紙を作るのに苦労しています。
擬革紙を作るだけで精一杯で、他の商品に加工するのは業者さんに依頼したいのですが、なかなか引き受けてくれるところがなくて・・・。
擬革紙を使って何かを作ってくれる業者さんを見つけるのが、一番の目標です。
今は擬革紙の作り方など対応できますが、次の世代に残すように・・・擬革紙で商売していこうというのではありませんが、生産性とか販売方法を確立させたいと思っています。
そして若い人になんとか引き継げないかと考えています。