FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年5月4日放送

四日市市といえばコンビナート?
いえいえ、意外にも史跡の多い歴史の街、そして近代化遺産の街でもあるのです!
街を散策しながら訪れることのできる『潮吹き防波堤』『末広橋梁』がオススメですよ!

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今回お話をうかがったのは、去年の6月、四日市の歴史のお話がいっぱい詰まった本『よっかいち歴史浪漫紀行』を発行された、北野保さん。

「四日市はどの時代も豊かな歴史を持っているんですよ」と北野さん。
考古学が専門の北野さんは遺跡の発掘調査や様々な文化財を調べてきました。

■歴史の街、四日市!

四日市市のイメージとしては工業都市ですよね。
昭和30年代から建設されてきた石油化学コンビナートの影響が強いというか。
しかし歴史を紐解くと、考古学的な調査だけではなく、他の文献資料の歴史学などの調査でも、古くから開けた土地だったことがわかっているんです。
例えば、市内で初めて国の史跡の指定を受けた『久留倍官衙遺跡』。
『官衙遺跡』とは、古代の官庁や役所のことです。
北勢バイパスを建設する際の発掘調査で発見されたのですが、まさかこんなに大きなものが出てくるとは思っていませんでした。
以前からあると言われていた『朝明郡衙(あさけのぐんが)』がここだったのではないか、と言われています。

そのうえ、さらになんと旧石器時代である1万年以上も前から、鈴鹿山麓で人々が生活していたこともわかっているんです。
その頃から人の営みが途切れることなく続いてきているんですね。



→四日市市公式サイト『久留倍官衙遺跡』




■国の重要文化財が2つある四日市港

四日市が一番発展したのは、なんといっても近代です。
近代の我が国の発展に貢献したということで、四日市港には2つの近代化遺産があります。


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まずひとつは昭和27年に完成し、平成8年12月に重要文化財に指定された『潮吹き防波堤』。
四日市の発展に非常に貢献していただいた稲葉三右衛門さんが四日市港の防波堤を修復し、さらにその後、修復した防波堤です。
波の力を弱めるため、堤防の腹部に穴をあけて波の力を分散させているそうで、構築過程が非常に珍しいということで、公安施設としては初めて文化財に指定されました。


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もうひとつは潮吹き防波堤からほど近い末広運河に架かっている『末広橋梁』。
昭和6年に作られ、日本にただ1つ残っている、現役の鉄道可動橋なんですよ。
ひとつの港に、国の重要文化財が2つあるというのは、非常に珍しい。
近代の時代に、先人が港を重視し、港の発展が四日市の発展だということで力を注いだ証ですね。

文化財めぐりは、四日市駅構内にある市営のレンタサイクルで自転車をレンタル!
詳しい記事はこちら!
→『銭湯に行こに 四日市・自転車で銭湯なのだ①』!




■今に残る、近代の工場

明治時代の日本の輸出産業といえば、お茶と生糸。
四日市市には伊藤小左衛門さんが創業した『伊藤製糸』があり、明治7年に機械繰糸を始めたと言われています。
当時の生糸の輸出先はほとんどがアメリカ。
『伊藤製糸』の生糸は品質が良く、大正時代にアメリカで開催された日本の生糸の品評会で、最優秀と認められたそうです。
現在、伊藤製糸の工場はほとんど取り壊されていますが、当時の繰糸工場はまだ現存しています。

それからもう一ヶ所紹介したいのが、旧『東洋紡績』の原綿倉庫です。
レンガ造りの建物で、現在は富州原町にある『イオンモール富洲原』の一角となり、飲食店などのテナントが入っています。

こちらも近代遺産の一つなので、是非行っていただきたいですね。



『伊藤製糸工場跡』
 住所 三重県四日市市室山町 

→四日市市公式サイト『旧東洋紡績原綿倉庫』