三重テレビ『ゲンキみえ生き活きリポート』2013年6月16日放送

漁師になりたい人をネットで呼びかけ!
全国から漁師希望者を募り受け入れることで、地域の活性化と漁業の未来を作ります!

6-16-2

6-16-3

志摩市阿児町志島は、太平洋を望む小さな漁師町。
海で働き、海で暮らし、海と共に生きる人たちが残る場所です。


6-16-4

そんな志島の海で、海士を生業として暮らしているのが、井上和さん。
東京生まれ、東京育ちの33歳。
おととし、志摩市阿児町の志島へと移り住み、この職業に就きました。

そもそものきっかけは海が好きだったこと。
どうしても海に携わる仕事がしたいと、インターネットで検索したところ、この『畔志賀漁師塾』にたどり着いたのだそう。

青き海に潜り、獲物をつかみ、糧を得る。
今やすっかり海士業が板についてきた井上さんですが、まだ3年目の新米。
平成22年、志摩市の畔名(あぜな)、志島(しじま)、甲賀(こうか)の3地区が連携をとり、担い手不足を解決していこうと立ち上げた『畔志賀(あしか)漁師塾』の1期生です。


6-16-5

三重外湾漁業協同組合志摩支部の理事、城山秀治さんに、『畔志賀漁師塾』の取り組みについてお聞きしました。

「漁師塾としては、現在2年7ヶ月めですが、それまでに、この地区で受け入れていたのが2人ぐらい。一番早い移住者は14~15年経ちます。
『高齢化が進んで過疎化地帯になって』と、漁師も農家もなくなるかというと、そうじゃないと思います。
日本全国、ネットなどを通して発信したら、来てくれる若者がとても多くいるんです。
住民も受け入れる気持ちがしっかりあれば、『過疎化は遅らせることができる』という思いで、『漁師塾』に取り組んでいます」


6-16-6
そんな志島に、今年もまた『漁師塾』に入りたいという希望者が、大阪からやって来ました。
理事の城山さんの面接を受け、海女の世界へ。
面接の翌日、志島の海へ飛び込みました。
これも志島流の教育法。
「覚えるより、慣れろ!」です。


6-16-7

現在、井上さんが暮らしているのは、浜のすぐそばの借家。
ここも、理事の城山さんが探してくれました。

「夜ご飯はだいたい、人の家で食べています(笑)
近所に杉浦さんという(海士の)先輩がいるんで、そこで食べさせてもらったり。
それから近所のお母さんたちが、勝手に草刈りをしてくれたりとか玉ねぎを持ってきてくれたりとか・・・みなさんに、育ててもらっています。
恩も返せないくらい、良くしてもらっています」

もはや、家族同然ですね。

しかし、海へ出たら、ひとりの漁師。
生活するお金は、自分自身で稼がなくてはなりません。
修行を終えた後、覚悟を決めて、漁船を購入しました。
冬場、海女漁が出来ない期間に行う『刺し網漁』に必要だからです。
もちろん、借金です。


6-16-8

漁を前にした海女小屋。
たき火で身体を暖め、みんなで食事。
これも、海女の大切な仕事です。

井上さんは、おかずをお母さんたちから少しずつ、おすそ分けしてもらっています。

「この子は上達が早くて。息が長いし深いところまで行けるんですよ」
「去年はサザエを一番多く取ってくる日もあったし、上等です。太鼓判を押しています」

お母さんからの評判も上々です。


6-16-9

海女漁は、朝と昼、1日2回が基本。
ひとつの船に、何人かの海女が乗り、漁場でそれぞれが潜って漁をします。

まず潜ってアワビやサザエの場所を確認。
そして、もう一度、空気を吸ってから、潜って捕るのが、基本のスタイル。

その日、潜る場所は、海女が自分で決めます。
1回の漁の時間は、1時間半~2時間。
天候や運にも左右される大変な仕事です。


6-16-10

お母さんたちに負けないよう、井上さんも、誰よりも深く、深く、潜ります。
こちらは、1回目の漁で井上さんが取ったアワビ。
いいサイズのものばかりです!


6-16-11

漁を終え、船に上がると、その場で仕分け。
一番楽しい時間です。

「今日はまあまあですね」と、井上さん。


6-16-12

この日の夕方、志島に移り住んだ若い漁師たちが、久しぶりに顔を合わせました。


6-16-13

西尾乃介さん(左)と間宮めぐみさん。
間宮さんは、なんと北海道出身です。

西尾「釣りが好きで船で釣りをしていたんですが、やっぱりプロである漁師に憧れていて、たまたまチャンスがあったので」

間宮「海女は日本の伝統文化捉えているので、この仕事を絶やしたくないと思っています。
若い人たちにどんどん来て欲しいですね。
ここの人たちは、お節介というくらい面倒見が良くて、普通だったら放っておかれるような時も色々と助けてもらっています。
人情味のある、良いところですね」



「志島の海は、志島の住民でないと守れません。
だから、漁師塾の卒業生たちがこの先、志島をどういう風に守っていくのかということを、私が教えたことを、土台にして教えていけと、指導しています」

と、理事長の城山さんは語ります。


志島の海を守っていってほしい。
そんな地元の人の強い思いと期待を背負い、海へ潜る。

つかむのは、海の幸だけでなく、志島と漁業の未来です。