FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年7月13日放送

今回のお客様は、『まつぜんフードサービス』の社長であり、『津ぎょうざ協会』会長の北泰幸さん。
『津ぎょうざ』といえば、津の人にとって思い出の味であり、今や津を代表するB級グルメです。
味噌カツや、天むすは津が発祥といわれているのに、違う土地の名物として有名になってしまった。
でも、この『津ぎょうざ』だけは、しっかりと津の名物としてPRしたい。これが会長の想いです。

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■芸術や文化に秀でているのが津の人

僕の出身地である宝塚や神戸は、周りに大阪・京都・和歌山など大きな街が30分圏内にあるんです。
だから大学生の頃は、朝は大学に行き、昼は大阪で食べて、夜は京都で遊び、家は宝塚へ帰る、というような生活でした。
あの辺りは、お店が切磋琢磨をする、競い合いの街なんですね。

だけど津市は、名古屋があって津があるというか、名古屋からは津へはあまり来ませんよね。
初めて津に来た時に、争いや競い合いのざわざわした感じのない、落ち着いた街だと感じました。
その半面、もう一つ力強さがないように感じたのも確かです。

とはいえ、津は住み良い街です。
まず、夜空を見ると星が見えるでしょう。
昔、私が青年会議所に入っていた頃は、子どもたちの星空観察の会を開催したり、会社の前にある岩田川で七夕祭りのスタートを切ったりしたこともありました。
県庁所在地なのに、すぐに自然に触れられる場所があるというのは素晴らしいことです。

しかし逆に、暇を潰すというか時間を持て余しているようで、何もすることがないという感じもして。
私は美大出身だったこともあり、こちらに来てから、陶芸や、絵をはじめました。
そういう視点で見ると、津の人は、お茶や陶芸など、諸芸に秀でた人が多いんですね。
『ものを買う街』というより、文化や歴史のある街なんだな、と今は思っています。


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■『津ぎょうざ』を作るきっかけ

そもそも『津ぎょうざ』というのは、1985年頃、津市内の小学校で子どもたちが増え、給食に冷凍品などの出来合いが多くなってきた中で、栄養士さんたちが「思い出になるような献立を作りたい」との思いから考案されたものです。

肉や野菜をバランス良く取って欲しいということで、最初は直径がが13cmくらいの餃子の皮で作ろうとしところ、それでは包みきれないということで、最終的に15cmの大きさに。
当時は焼くための機械があまりなかったため、油で揚げることになったんですが、油を摂り過ぎてしまうということで、油を吸いにくい皮に改良しました。
時間をかけて揚げることで外の皮がパリパリ、中が蒸されて美味しくなったんですね。

最初、ウチの会社に「津ぎょうざを作って欲しい」と来られたのは、『津げんき大学』の方たちでした。
その頃ちょうど、ウチには中華の専門家がいましたので、相談をして作り、秋の津まつりで販売を始めました。
しかしこの時は、実は私は、全然興味がなかったんです。
「こんなん売れるんかい」と。
しかし2000個を作ったところ、長蛇の列ができて完売。
3000個に挑戦したところ、こちらも完売。
驚きましたね。

それから2年ほど経ち、ある時青年会議所が主催の『L-1(ローカル・ファースト)グランプリ』に出場しました。
このイベントには北海道の夕張メロンから、九州のさつま揚げまで、いろいろな特産品を地元から持ち寄るというもの。
その日は熱くてフライヤーで餃子を揚げるのも大変で、早く一日が終わってシャワーを浴びてビールを飲みたい・・・そんなことばかり考えていました(笑)

そしてイベントが終わる頃、表彰式が始まったんです。
いろんな地域の方が、いろんな賞をもらっていく中、最後にファンファーレがなって突然、『津ぎょうざ』と呼ばれました。
まさかの『津ぎょうざ』がグランプリを獲ったんです。

壇上に上がって審査員の人の評価を聞くと、
「バカバカしいほど大きい、けれどバカバカしいほど美味しい。これは本当に素晴らしい商品ですよ」
と言われて。
その時から、ちょっと認識を新たにしました。
ひょっとして、全国的に見ても珍しいものなのかな、と。

それからさらに、あちこちイベントで『津ぎょうざ』を販売すると、完売続き。
美味しいと言われるし、なによりリピーターさんが多い。
2日間のイベントだと、1日目に並んで買った人が2日目には1番に並んでいたりするんですよ。
「美味しいからもう一度食べたいけど並びたくないから」と。
どのイベントでも、たいてい何人か来られます。
それから徐々に自信をもって、今では正々堂々と「津ぎょうざはいいもんですよ!」と言えるようになりました(笑)


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■『B-1グランプリ』の地区大会で三重県が上位を独占!

一昨年、豊川で開催された『B-1』グランプリの地区大会では、1~4位までを三重県勢が独占したんです。
その日は、夕方に表彰式が開催されました。
それまでは正直、「売りたい」「ちょっとでも儲かれば」「これで街が有名になれば」という気持ちでいたんですが、その時、夕暮れに子どもたちの顔が浮かんできたんです。

もともと津ぎょうざは子どもたちの給食。
その給食に出ている餃子が大きな大会で賞を獲ったら、子どもたちも嬉しいですよね。
子どもたちにも誇りになるんだな、と忘れていた気持ちを思い出したんです。

なので受賞のインタビューを受けた時は、泣いてしまいました。
それだけ嬉しかったです。
過去6万人くらいの子どもがこの餃子を食べて育っている思い出の餃子。
その餃子が誇りになれば、この街も誇りになるのではないでしょうか。

それから同じく一昨年、津で『全国ぎょうざサミット』が行われました。
お越しいただいたお客様は12万人。
『津ぎょうざ』の名前が三重県以外の場所でも知られるようになったのは、この頃からでした。

それと前後する時期に、福島県のあるデパートで『津ぎょうざ』を販売していたとき、彼女らしき人を連れてきて、
「この餃子!この餃子で僕は育ったんだよ!これは『津ぎょうざ』って言うんだよ!」
と大きな声で『津ぎょうざ』を手に取った男性がいました。
その人は津出身で、『津ぎょうざ』が懐かしくて来たのだと。
販売しに来たはずが、嬉しくて、思わず差し上げてしまいました(笑)

この時は震災の翌年だったんですが、その男性は震災の前の年に来て被害に遭い大変だったそうです。
だからこそ、ここで故郷の味に会えたのが、懐かしくて嬉しかったそうで。

ところで、津に限らず、日本人は餃子が大好きですよね。
日本全国いろんな餃子があるので、餃子で日本中を繋ぎたいと運動しています。
現在は、北海道の旭川から、九州の八幡餃子まで・・・たくさんのご当地餃子とともにイベントを開催しており、今年の11月には『すそのギョーザ』で有名な静岡県裾野市で大きなイベントを行います。
全国の人たちが、『ぎょうざ』で繋がると嬉しいですね。


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■三重県は祈りの国

私は現在、三重県の物産振興会の理事をしており、デパートの振興を含め、三重の物産を売れるようにとプロジェクトチームを作っています。
デパート産業自体も経済の低迷で厳しい中、三重県内でも南部には干物やミカンなどの特産品がありますが、中勢北勢は良い物産はあるものの、今一つ特色がないんですね。
鹿児島や北海道などの遠方は、やはり都会で物を売って行きたいという貪欲さと力強さがありますが、三重県はわりと日本の中心にあるので、あまり危機感がないというか。

しかし経済が悪くなった時こそ、三重県の特色をもっと出して、魅力を訴えたい。
そういうわけで、私が三重県のアピールの企画のようなものをさせてもらっているのが、現状です。

正直、全国からの三重への認知度というのは、かなり低いです。
四日市や松阪市、鳥羽、熊野、伊勢など単体の地域は知っていても、集合体としての三重県や、県庁所在地としての『津』への認識があまりありません。

残念というより、腹がたちます。

三重県のカラーや匂いは何か・・・三重は古の歴史のある地域なので、私は最近、『祈りの国』と読んでいます。
熊野があり、伊勢があり、一身田には高田本山もあり・・・ある意味、宗教的な意味では昔から栄えた場所なんです。
我々は今、それが当たり前になってしまい気づきませんが、もっともっと掘り起こした時に大切にすべきものがそこにはあるんです。

例えば伊勢の地域では、玄関に『笑門』の注連縄が一年間ずっとかかっていたりしますよね。
実はあれは、全国的に見ても、けっこう珍しいんです。
三重の人はそれが当たり前に見ていますが、よそから来た私にとっては非常に珍しい。
そういうものを見直し、発掘していくことで、信仰や古の国をアピールできるのでは、と思っています。