FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年11月23日放送

再生の道、熊野古道。
伊勢へ七たび、熊野へ三たび。
伊勢参宮でとてもにぎわった江戸時代、伊勢へお参りした後、熊野への巡礼をした人々は年間3万人もいたそうです。
人々は何を求めて熊野古道を歩いたのでしょうか?

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今回、『熊野古道』についてお話をうかがったのは、三重紀北教育研究所の所長、小倉肇さんです。
高速道路を走っていて、集落を見つけると、ついつい降りて足を運びたくなるという、好奇心旺盛な小倉さん。
熊野古道についても、とても造詣が深いのです。

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■熊野詣では死後の安楽を願う旅

お伊勢さんというのは、表の神様なんです。
各村にある、神社というか氏神様のようなものですね。
一方、熊野三山というのは裏の神様です。
庶民が私事(わたくしごと)の願いをかけて頼る神なので、詣でるにも心構えが少し違ったと思います。
お伊勢さんに参るときはキチンとした格好をしてお参りして、精進落としをする。
熊野に参られる方の装束は、今の日常で言いますと、私たちが亡くなって棺桶に入るときの『死に装束』に準じているんです。
そう考えると、熊野詣でというのは、死後の安楽を願うとか、今の社会の中でどうにもならない願いであるとか、また、生まれ変わって、新しい人生をつかみたい・・・そういった願いの方が多かったんです。
いわゆる巡礼ですね。
また、『伊勢講』や『富士講』『浅間講』などのように、力を持って来た農民たちが、成人になった若者を、農閑期に詣でさせる・・・今で言う修学旅行みたいなものもありました。
これは願いを持って神にすがるという巡礼とは違い、いわゆるパック旅行的なもの。
伊勢に行った後、熊野三山、三十三ヶ所まわり、名所を巡って故郷に帰るというコースとして。
なので熊野詣でには2つの意味があったんですね。


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■生まれ変わるのが熊野信仰

『生まれ変わり』というのが、熊野信仰が大きく人の心をとらえた要素です。
が、巡礼者は生まれ変わるよりも、罪の意識や自分たちに押し押せてくる苦しさを救ってほしいというのが大きかったでしょうし、自分が大自然の中を苦労して歩くことによって、少しずつ気が治まっていき、安らぎを得る・・・そんな巡礼だったんですね。

この地域に住んでいる人たちは、そんな巡礼者たちを優しく迎えました。
そういう伝統が残っていたから、三十三ヶ所にしても八十八ヶ所にしても、全国から悩める弱い人たちを集めたのでしょう。

熊野路や伊勢路を歩くと、集落と集落の間に坂があるんですが、その降りた地点にだいたいお墓があるんです。
そこは巡礼者たちを葬ったお墓なんですね。
巡礼たちが倒れると、地域の人は放っておかずに回向(えこう)しました。
それが今でも残っているんです。
その仏様の縁者が、こちらにお礼に来られて、供養の物をまた残して行く・・・そういった例をいくつも聞きました。
例えば、荷坂峠を降りたところに、お地蔵さんがたたずんでいますが、これも巡礼者の墓です。
また、三浦峠にも『安山是心』と彫られたお地蔵さんがあります。
これは『山で安心してください』という意味の戒名なんです。

ひとつ、有名なエピソードがあります。
1700年代の後半に鈴木牧之(ぼくし)という越後出身の文人が熊野古道を歩かれ、滝原まで来たとき、『坂本屋』という旅館に泊まったんです。
するとその庭に新しい墓があり、『舞子村 大野太左衛門』と書かれていたんです。
舞子村は実は、鈴木牧之が住んでいた町のすぐ近く。
『大野太左衛門』という人が巡礼に出たきり、帰ってこなかったのも知っていたんです。
驚いて旅館の人に尋ねると、鈴木牧之と同じように越後から来たのだけど、ここで亡くなったと。
当時は飛脚が高額で、知らせることができなかったため、ここでお墓を建てたとのこと。

その話に、鈴木牧之はすっかり感激したそうです。
実は鈴木牧之は伊勢からこちらにくる道中の地域に、良い印象を持っていなかったんです。
あまりに寂しい場所だと。
しかしそれから後は、『熊野路はいい場所だ』と記録に書かれています。


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ツヅラト峠より遠望


■熊野古道はこの地域の宝!

『熊野古道』が世界遺産に登録されて、来年でちょうど10年目です。
この地域は人口が減る一方で、何かでがんばっていきたいと思っても、一番頼りにしている第1次産業にもいろんな障害があります。
それでも漁業に関して言うと、三重県では和具と、ここ紀北町にしかないカツオ船があります。
昔は何百隻とあったのが、今では7~8隻しか残っておらず、そのうち5隻が紀北町長島に。
そう考えると、漁業も将来的に続けていけるかどうか・・・。
だから、世界遺産である『熊野古道』は、この地域に与えられた最後の宝であり、縁(よすが)だと思うんです。
世界遺産『熊野古道』を生かした郷土を若い人たちに作っていってほしいし、自分が生きている間は、そういう面でお手伝いしたいですね。
熊野古道の精神文化的なものをアピールすれば、多くの人にわかってもらえるのではないでしょうか。
いわゆる遊びとか楽しみだけではなく、心や精神が豊かになっていくような観光地があっても良いではないですか。


→熊野古道


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■地域のお寺『大昌寺』へぜひ!

現在、紀北町の赤羽地区には、4つのお寺があり、どれも檀家が30~40軒ほどの小さなものです。
でもそれぞれに中世の仏像や文化遺産が残っています。
その一つが『大昌寺』。
天井に143枚の百人一首が描かれているんです。
小野小町など、一人で何枚か描かれている歌首もありますので、約130人くらいの歌人の姿絵が納められています。

ここへ参られたら、天井絵の下の不動堂で寝て、天井を見てもらうと、王朝の世界が目の前に広がる気がしますよ。
ぜひ見に来てください。
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→大昌寺