FM三重「ウィークエンドカフェ」2010年8月14日放送

松阪の町をあるくといろんな場所で鈴に出会います。
そう、鈴が大好きだった本居宣長にちなんでなんですね。
でも・・・宣長さんのことって知ってそうで知らないことが多いんですよね。
そこで、今日は本居宣長記念館 館長の吉田悦之さんをお迎えしました。
宣長さんが豆腐好きだったこと、何でもメモに残したこと。
吉田さんに宣長さんについて教えていただきました。
いろんなことがわかって松阪の町を歩くと本当に楽しいです。
三重の人、松阪の人にもっと記念館へ足を運んで欲しい・・・と吉田さん。
宣長さんの時代にタイムスリップできますよ!

■『本居宣長記念館』の目的は?

本居宣長は、三重県の松阪に生まれて、72年間の人生のほぼすべてを松阪・伊勢で過ごしたんです。
『古事記』読み解いた国学の偉人でもある一方で、彼は、伊勢の暮らしや松阪の生活などを、細かに書き記していました。
つまり地の利を生かした仕事をしていたんですね。
この記念館には、全国から本居宣長のことを知りたいという人が訪れますが、肝心の三重県や松阪の人がちょっと少ない。
三重県の人に本居宣長の目を通して、三重というものを再確認して欲しいです。

■本居宣長はどんな人?

世間の一般のイメージは、医師であり古事記を読み解き、歌を詠み、膨大な記録を残した・・・そんな、固い感じじゃないですか。
でも、私は違うと思うんですよね。
きっと「知りたい知りたい知りたいの人」だったんじゃないかな。
世の中が不思議・・・自分の住んでいる世界が不思議・・・それをとことん納得するまで追及する人。

楽しいことも好きで、お酒も良く飲んだらしいです。
これは私の考えなんだけど、おそらくお酒は飲んでも酔わなかったんじゃないかな。
宴があると、出されたお椀の中や焼き物や香の物まで、お料理の内容を全部覚えているんですよ。
どんな時でも、常に冴えて、冷めている・・・酔えないなんて、私から見ると、ちょっと気の毒ですね(笑)
しかしだからこそ、膨大な記録が今でも残されているわけです。
記念館には日記や随筆、自画像など、およそ16000点の資料の資料があるんですよ!

しかもメモ魔というか記録魔だったので、豆腐の価格まで残っています。
それも松阪だけでなく訪れた先の大和や和歌山まで・・・そして地域が違えど豆腐の価格は全部一緒だと記録しているんです。
こんな細かい記録、ここでしか見られませんよ(笑)

■吉田さんにとって、本居宣長とは?

もうね、本居さんあっての私(笑)
中学の頃に初めて像を見て、ちょうどその頃、町をあげて本居宣長さんの記録を残そうということで記念館が出来て・・・それが出会いです。

一番感動したのが『学問は継続が大事、才能ではない』という言葉。
この言葉のおかげで、今まで頑張ってこられたというのがありますね。
縁があって、この記念館に勤めて30年。
私の人生、自分の名『吉田悦之』よりも『本居宣長』という名前のほうが多く書いています(笑)
桜を愛し、錫の音を愛し、日々、慎ましい生活をし・・・知れば知るほど、もっともっと好きになっていくんですよ。

■訪れる人に伝えたいことは?

昔、松阪では明け方と夕方の薄暗い時間を、『宣長先生の歌詠み時』と言ったんですよ。
本居宣長は、徹底して生活から無駄を省いた人で、薄暗いと細かい仕事は無理だが、歌なら考えて詠めると言ったんですね。
この言葉は、彼の宣長の歌好きと慎ましい生活をよく伝えているんですよ。
時間と経費の無駄を削ぎ落とす・・・とは言っても決して楽しみを捨てるのではなく、楽しみは持ちつつ、たくさんの仕事をこなした本居宣長さんの生き方が伝わってきますね。

72歳まで自分が満足する人生を送った本居宣長さんの生き様と、毎日の生活や家族との生活に見える親しみやすい宣長さん・・・この両方を、記念館を訪れる方に伝えていけたらなあ、と思います。