FM三重『ウィークエンドカフェ』2014年10月4日放送

今回、亀山の町を案内してくださるのは、亀山市観光協会の黒田力男さん。

江戸時代には参勤交代の大名や旅人たちの往来でにぎわった、東海道五十三次の宿場町。
亀山宿、関宿、坂下宿と3つの宿場町があった亀山市は、現在も交通の要となっています。
街道沿いには今もなお、古い町屋が建ち並びその時代の面影を感じることができます。

10-4-1

       黒田さん(左)と、10月から事務局長となる山内さん(右)

■関は関西と関東の分かれ目

亀山市は自然が豊かで、歴史と文化の町です。
昔から交通の要所として栄えまして、壬申の乱の時代に鈴鹿に関所が置かれました。
岐阜には不破の関、福井には愛発関(あらちのせき)というのがあり、3つの場所を結んだ線の、西が関西、東が関東と、関西と関東の分かれ目の部分となるんです。

ここ東海道は、京へ行く人、江戸へ行く人、お伊勢参りをされる人などが行き交い、非常に賑わったので、関西と関東の分かれがあいまいになりつつあります。
しかしやはり、西の文化と東の文化では違うことがあります。
先日、関西と関東の分かれ目がどこにあるのかを探るため、亀山の小学校で、おにぎりに巻く海苔は、味付け海苔か焼海苔かを聞いてみました。
実は味付け海苔を巻くのは関西で、関東は焼海苔なんですね。
結果は、47%が味付け海苔、53%が焼海苔でした。
やはり文化の分かれ目というのが表れていますね。
それからもう一つ、東西の文化の融合として顕著なのが『うなぎ』なんです。
関東では背開き、関西では腹開きですよね。
市内にあるうなぎ屋さんのほとんどは、背開きですが、大阪式の焼き方をしているんです。
文化が入り交じっているというか、ええとこ取りですね(笑)
街道を歩く人から伝えられる流行や文化をすぐに取り入れて、それを自分たちのしやすいようにして、道中行かれる方のおもてなしをしてきた。
江戸時代には東海道五十三次の46番目の亀山宿と47番目の関宿、48番目の坂下宿と、亀山市内を東西に東海道が走っています。
かつては亀山市と関市で分かれていましたが、合併したということで3つの宿が1つの市内にあるという、珍しいことになりました。


OLYMPUS DIGITAL CAMERA

■関宿のおもしろさ、見どころ

関宿は、西の追分と東の追分の間が1.8kmあり、約400軒の家が軒を連ねています。
そのうち200軒が明治以前の建物。
それらの家にはまだ、牛や馬の繫ぎ輪が残っていたり、屋根の瓦に家紋が入っていたり、瓦の横に漆喰細工とか、瓦細工をしているところがたくさんあります。
JR関駅内にある観光協会でも、町歩き用のパンフレットも用意しているので、それらを見ながら歩くと、飽きずに楽しむことができると思います。

関宿の中には、江戸時代中期の生活様式を見ることのできる『まちなみ資料館』があります。
また、当時の旅籠の様子を知ることができる『関宿玉屋旅籠資料館』もあります。
関宿では本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠が42軒ありました。
本陣や脇本陣は大名や高級な公家さんが泊まるところ。
旅籠は下級武士や商人、一般の庶民が利用する旅館でした。
中でも『玉屋』という旅籠が有名で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する大旅籠でした。
その玉屋を町が買い上げ、当時旅人が泊まった布団や膳、状況を再現したのが『関宿玉屋旅籠資料館』なのです。

最近では、歴史や町並みが好きな若い方が増え、連休などに調査すると、全国から、しかも子ども連れで来てくれているのがわかります。
そのお子さんが成長した時に、ここに家族で来たな、と思い出してもらい、繋がっていくと良いですね。

もちろん、お伊勢さんの帰りなどに寄られる、お年寄りも多いですよ。

建築に関係のある人もたくさん来られます。
江戸時代の建築様式はどうなっていたて、どう変わっていったのかなど。
関は生活をしながら守ってきた町なので、すべてが江戸時代のままというわけではありません。
江戸時代もあれば明治、大正、昭和の家もあります。
生活をしながらいろいろな形で改修をしながら、ここまで来ているんです。
昭和54年に『町並み保存条例』を作ったので、それ以降は新しい建物を建てることはできません。
昭和54年以前に立て替えたアルミサッシ枠の窓の家もあるのですが、最近それを櫺子格子(れんじこうし)に直すなど、景観を良くする取り組みも行っています。
町並みとしては年に十数軒くらい修景していますので、来るたびに良くなっていくのを楽しみにしている人もいるんです。


10-4-3

■鉄道の町と呼ばれていた明治時代

関西線で、亀山から名古屋は電化されていますが、亀山から加茂まではディーゼルなんです。
懐かしい1両の車両で、1時間に1本の列車。
のんびりしたい方には「懐かしいな」と昔を思い出してもらえる町ですね。

かつてSLが走っていた時には、関町の加太というところにある坂がきつかったため、機関車を3台つなげ登ったり、単線なのでスイッチバックもしていたので、国鉄時代は有名な場所でした。
列車が大好きな人にはたまらない地区だったんです。

現在、国民宿舎『関ロッジ』にはブルートレインがあります。
夜行列車、寝台列車が姿を消す時代に購入しまして、泊まれるようになっています。
また亀山公園には『シゴマル(C50)』という蒸気機関車を展示しています。
亀山・関は明治23年に鉄道ができたので、『鉄道の町』と呼ばれました。
なので鉄道関係の方が多く勤めていて、今でもその名残があります。

当時は国鉄は『亀山機関区』として非常に大手で、何千人も働いていたので、ここに家を購入して住んでいる人もいます。
元気な人は現在も、機関車の掃除や塗装をしたりなど、保持ボランティアとして協力してくれています。


10-4-4

■秋の亀山はイベント目白押し!!

ぜひみなさんに来てほしいのが10月11日(土)に亀山の駅前で開催される『亀山エキサイティングまつり』!
もともとは、亀山駅ができて120年周年の記念ということで4年前に開催。
それが好評を博したので、以来『亀山エキサイティングまつり』と名付けて、毎年続いているんです。

11月2日(日)には関宿一帯を使った『関宿街道まつり』も開催されます。
関宿の通り1.8kmを大名行列が通行、その他、地元特産品の販売もあり、地元の踊りをしながら町をまわったりします。
日本で一番古いと言われている『関の地蔵さん』で、太鼓を叩いたり、一日中楽しめるお祭りです。
『関宿街道まつり』は今回で29回目。
昭和59年に『重要伝統的建造物群保存地区』に選定された翌年に、関宿の町並みをすべて使った祭りをしようと始まりました。
毎年待っている人がたくさんいるんですよ。

それから11月には『亀山満喫ツアー』を開催します。
1つ目は11月15日(土)に開催する『亀山秋の産品めぐりと関宿散策』。
まずは、亀山市加太地区で行っている自然薯を栽培しているところに行きます。
普通は山に生える自然薯を、山の状態に近い畑を作り、育てているので、その自然薯を掘ってもらうという体験。
それから加太の神社や関宿をめぐり、昼食は『関ロッジ』で亀山の秋の地元の食事をしてもらいます。

2つ目は11月23日(日)に開催する『東海3宿と秋の鈴鹿峠を森林インストラクターと歩く』。
亀山駅に集合し、亀山宿、関宿、坂下宿、そして鈴鹿峠の頂上まで行きます。
鈴鹿峠は森林インストラクターが付いて、岩屋観音にも寄りますよ。
こちらは約16km歩く、健脚コースです。

これらのツアーは過去4回開催していますがとても好評。
いずれも昼食・保険料・参加費込みで、1人1500円。
亀山市を知ってもらうために、亀山市と観光協会がサービスして、お値打ちの価格で開催しています。

『亀山秋の産品めぐりと関宿散策』は定員25名、『東海3宿と秋の鈴鹿峠を森林インストラクターと歩く』は定員30名なので、お早めに申し込んでくださいね!


10-4-5

■新名神自動車道から見える天空の町!

新名神に亀山ジャンクションができたでしょう。
土山へ行く間に『坂本の棚田』という集落があるんです。
新名神の高い橋脚から見ると、空中にその集落が浮いているように見えるんです。
兵庫県朝来市の竹田城跡は『天空の城』と言われていますが、こちらはまさしく『天空の村里』。
素晴らしい光景ですよ。