FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年2月28日放送

三重県の北部に位置し、北は桑名市、南は四日市市、西は朝日町に隣接する川越町。
川越町という町名は、明治22年に川越村が誕生した時、朝明川の北部の村と南部の村が川を超えて合併したことに由来するそうです。
今回は、川越町高松地区の伝統行事『足上げ祭』の保存会会長の内田隆さんと高松地区区長の筒井宏幸さんをお招きしました。

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基本情報はこちら川越町足上げ祭り保存会




■足上げ祭りの始まり

内田 川越町高松地区に伝わる足上げ祭りは、平成2年5月22日に川越町の無形民俗文化財に指定されました。
文献によると、現在、富田駅がある場所の南にある曹洞宗の長光寺で、鎌倉時代の仁治3年(1242年)に、精霊を供養するための踊り念仏が始まったと言われています。
その後、天ヶ須賀村や高松村など近郊の村々から、松明を持ってグループで長光寺に練っていったと言われていますが、13世紀の話なので本当かどうかは定かではありません。


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■足上げをしっかりしていなかった近年だが、由来がわかり足を上げるように

筒井 子供さんたちが担ぐ『松明』は、竹の両側に麦藁で作った房のようなもので、これを担いで練って神社まで行きます。
神社内に入ると、それに火を付けて『心柱』を回ります。
その時に足を上げるので、『足上げ祭り』になったと言われています。
最近まで『足上げ祭り』と言いながら、やっている人も足の上げ方などを知りませんでした。
意味もわからず『足上げ祭り』と呼んでいてはいけないと、一昨年から去年にかけて、長老を招いて『足上げ祭り』について勉強しました。
神事では火の付いた松明を持って心柱を時計の反対回り・・・つまり左回りに回るんです。
しかし普通のように足を地につけて歩いて回ると早くなってしまい、怪我をする危険性があると。
そこで、怪我を防ぐためにリズムを取ったんですね。
膝を直角くらいまで上げて、歩く。
リズムを作ることによって、前の人と後ろの人のスピードのバランスの調整が取れる。
そのために足を上げたと聞きましたが・・・本には書いてないんですよね。


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■神仏混交と神仏分離に翻弄された『足上げ祭り』

内田 日本には昔から神仏混交の風習があった関係で、今でも高松の八幡神社にはお地蔵様がお祀りしてあります。
数年前にみなさんのご行為で祠を建て直しました。
そんなことで、もともとはお寺に奉納していた『足上げ祭り』も、徐々に神社に変わっていったんですね。
理由の一つには1800年代、明治時代に入ってから軍国主義によって行われた神仏分離。
そのことがあり、お寺ではなく神社の方にシフトし、八幡神社で行うようになったと聞いています。
私も子供の頃は参加していました。
地域の人も何の疑問も持たず、普通に参加していましたね。
先ほどいいましたように、明治期の軍国主義の時代に神社が結びついた関係で、当時は四日市市富田の鳥出神社へ練って行ったと言われています。
鳥出神社へは、ここ高松地区から1時間程かかります。
明治時代に神社合祀といって、昔からある小さな神社や山の神様など、みんな国の政策でいろんな神社が集められたので、その関係だったのかもしれませんね。


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■松明に火が灯される時

内田 麦の収穫が終わり、わらが乾燥したらお『足上げ祭り』の準備がが始まります。
お祭りは8月14日に行われますが、それまでの準備、そして後片付けは地域の有志のみなさんに支えられ行われています。
祭りへの意識が薄れていくなか、このままではいけないと保存会ができました。

筒井 松明に火をつけるということは、ひとつの儀式。
ただ持ってきてポンと火を付けるのではなく、火を熾すのは神聖な場所なんです。
今も荒縄で囲い、御幣がかけられていて、ゴミやタバコを捨てられないようになっています。
みなさんが作ってくれた松明の残りの材料をここに置いて、八幡神社から御神火をいただいて、それをカンテラに入れて持って行って、そこで点火して炎を上げる。
種火として持ってきた炎を松明の片側ずつに火を付けて、心柱を回ります。

足上げ祭りは、お昼1時になると松明を天秤棒のように持った子どもが行列を作り、大きな太鼓と鉦を鳴らしながら、地区を3時間ほど回ります。
最初は火がついていません。
少し休憩をとったら、いよいよ夜のお祭りがスタート。
夜の本練りも担いで運んでいく。
それに子どもたちの掛け声と太鼓と鐘に合わせて運んでいく。
そういうのをそろえてリズムを取りながら練り込んでいく。

午後6時30分に出陣式が行われると、およそ500メートルの参道を1時間30分かけて練り、鳥居の周りへの到着は午後8時。
ここからは子どもたちが入ることはできません。
青年団の出番となり、火を付けて勇壮なお祭りが始まります。


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■滋賀県の出身の現区長、30年ぶりに帰ってきて祭りを支える『足上げ祭り保存会』会長

筒井 僕は生まれ育ちは高松地区ではなく、滋賀県東近江市。
昔は神崎郡永源寺町と呼ばれていた、本当に田舎な地域でした。
それが縁あって川越町に来て、縁があって『足上げ祭り』の神事を知りました。
これもまた縁なので、大切に受け継いでいくつもりです。
現在高松地区には800世帯くらい住んでいますが、先祖の代からこの土地に生まれ育ってきた人は、だいぶ減っていると思いますよ。
だから、ここの土地の住人と言われてもピンと来ない方もいらっしゃいます。
でもせっかくなんだから、高松の大きな祭りを作りましょうよ、と。
8月14日に行われる『足上げ祭り』の他にも、もうすぐ開催される『桜まつり』、1月は『どんど祭り』、この3つを三大祭としてやっていきたいと思っています。
冬、春、夏と。
春の『桜まつり』も盛大で、『足上げ祭り』と同じ規模。
400名ほどの人が訪れます。
祭りを開催することで、高松地区に住んでいる人が郷土の人間になっていってもらいたいですね。


内田 私はここ高松地区で生まれ育ちましたが、仕事の関係で30年ほど東京にや大阪で暮らしていました。
こちらに65歳で帰ってきて、この『足上げ祭り保存会』の会長をやらせてもらっています。
最近では太鼓の軽量化や小太鼓などを用いることで、区の練りや本練りに子どもにも参加してもらい、小さな頃から慣れてもらおうという取組みをしています。


筒井 子どもたちの参加を促すことは、これから先のことを考えると狙いとして良かったんじゃないかな。
『足上げ祭り』を正しく後継者に伝えていくために、『保存会』を作って、継承していくという考え方。
お金で買えるものではなく、やはり人材がいないとどうにもならない。
僕らが子供の頃はパソコンもゲームもなく、することがありませんでした。
今の子たちは遊ぶ道具もたくさんあるし、学校や教育、クラブ、塾・・・公園で遊ぶことが少なくなっています。
だから祭りの練習をするにも、参加者が少なくなっています。
子どもたちが参加したいと思うような魅力的な何かを用意しないと・・・例えばスイカとか(笑)
昔だったら喜んでくれたけど、今では無理(笑)。
つまりモノで釣るなんてことはできないんですね。
そうなると大切なのは親の意識。
親の意識が子どもを変えていくと思うので、それをどうするのかがこれからの課題ですね。


基本情報はこちら川越町足上げ祭り保存会