FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年4月25日放送

今回は、伊勢を中心にまちづくりに取り組む東友章さんをお迎えしました。
『外宮参道 伊勢菊一』の副代表である他、いろいろな役職をお持ちです。
中でも中心となって活動されているのが毎年10月に伊勢で行われる『伊勢まつり』。
実行委員会の会長として頑張っています。

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■夢と、今自分にできること

本業は自分の生活を守るもので、それが一番。
本業があって、余裕ができたら違うことを人のためにする。
それが自分のためになってやっているものなので。

無理なものは無理といいますし、できることは小さなことでも一個一個積み上げていって、大きな広がりになっています、今。

僕の夢は3つあって、1つ目が映画監督になること、もうひとつは社長になること、3つ目は宇宙飛行士になること。
現在、社長をしていることと、いろんなTV番組を作っているので、2つの夢はほぼ叶っているかな、と。
3つめの宇宙飛行士は、これは無理。
でも諦めたくはないので、僕のお金でも月に行ける時代が来ると良いなと願っています(笑)。

今、一番大きな役は『伊勢まつり』という市民参加型の一番大きなお祭りの会長です。
それが今年で3年目。
もともとあった、伊勢の『おおまつり』というお祭が『伊勢まつり』に変わったんですね。

運営自体はみんなに協力してもらって、僕がするのは方向性を決めたり、その年に合わせたカラーを出すこと。
例えば遷宮の年だったらそれに合わせたカラーを出すとか。
1年に1度、2日間に渡って開催されるんですが、1日目と2日目でぜんぜん違う祭りになるんですよ。
1日目の夜はパレードがあって、夜の最後には手筒花火。
2日目になると子どもたちやよさこいソーランなど、本当にたくさんの人が参加しています。
特に『伊勢音頭』は人数が多ければ多いほど、列をなして美しく見えるんですね。
1人や2人ではなく100人や200人の団体で伊勢音頭を踊るのは風情があるというか。
全国に広まった伊勢音頭のここが本拠地だということがわかると思うので、是非身に来てほしいですね。


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■20代の頃『音しゃいまつり』を企画運営したのが原点

もともと僕はケーブルテレビで働いていまして、そこで地域のいろいろなイベントに参加したり、地域の情報を発信する仕事でした。
地元のためにできることはないかと考え、開催しようと20代の若者5人か集まって始めたのが『音しゃいまつり』。
僕もその中の1人でした。
最初5人だったのが、そこから30人になり、当日には200人以上がスタッフとして協力してくれました。ス
そのほとんどが、同級生とその上下5歳くらいのメンバー。
当日はなんと、参加者含めて1万人規模の祭りになったんです。
地元を盛り上げるために、自分たちでそれだけの人数を集めることができたんです。
そこで何をしたかというと、伊勢音頭やフリーマーケットや屋台、いろんなアートや歌、バンド・・・などなどごちゃまぜ。
参加者だけでも数千人いました。
終わった後は、達成感どころか、もうやりたくないと思いました(笑)。
大変すぎて。
いつ祭りが始まって、いつ祭りが終わったのかよくわからない3日間があって、すごく大変でした。

一番初めはお金がなかったので、メンバー5人、1人10万ずつ出して頭金にしました。
そこから協賛金を何百万もいただきましたし、さらにスタッフが自らお店などに出向いて、「すいません、良いことをしたいのでお金をください」とお願いに行きました。
そのうち、その広がりが大変なことになり、街のどこに行っても祭りのポスターが貼ってあるという状態に(笑)。
「20代でもこんなことができるんや!」と、30代40代50代に見せつけてやった・・・そんな祭りでしたね。


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■次の遷宮に向けて伊勢はゆっくりと街を作っていく

今は遷宮が終わって、ちょっと休憩の時期ですね。
次の遷宮に向かって街もまたゆっくりと形を変えていくかな、と。
遷宮で一気に花開いた外宮参道でありますし、次はどういう形になっているかを考えるのが、街づくりだと思いますね。
遷宮前に比べると格段に観光客が増えましたね。
雲泥の差です。
しかも若い人がとても増えました
しかし忘れてはならないのは、伊勢神宮があって、伊勢市民がいるということ。
伊勢市民がスゴイから観光客が来るのではなく、伊勢神宮が昔から魅力があり人を集めているわけです。
恩恵を受けている街の人たちが、どれだけ神宮さんのレベルに合わせた街づくりをできるか、試されていると思います。

この街で私たちがこれまでやってきているイベントの一つに『伊勢っ子案内人』という物知り王選手権があります。
伊勢のいろんな神宮さんにまつわることや伊勢にまつわることを、子どもたちを招いてクイズ大会をしようと開催しています。
それで1位から3位までの子どもたちに駅前に立ってもらい、実際に案内をしてもらうという活動も行いました。
しかし案内することがコインロッカーの場所やバスの時刻表などの交通関係、またトイレの場所など、神宮さん関係のお話だけではないんですね。
子どもたちにとって、クイズだけでは補えないところも思いがけず勉強になっていて、とても喜んでいます。
お客様の反応も、僕みたいなおっさんじゃなくて(笑)、子どもたちに案内されるのは本当に嬉しいようです。

こういう活動をしていると、子どもたちもこの街が好きになってくれます。
だから、一回街の外に出ても、またこの街のために帰ってきてもらって、また遷宮の時などにリーダー的な存在として活躍し、地区を引っ張っていってもらえたら最高ですね!


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■食糧危機が来た時、自分たちで生きていけるように

もともと外宮さんの南側に、外宮さんから濠から水を引いている田んぼが広がっていたんですけど、それがどんどん住宅地に変わっていって、僕が気づいた5年ほど前にはほとんどなくなっていたんです。
神宮さんというのは食の神様で、この田んぼだけは残さないと、と米作りを始めました。
何の知識もないまま土をこね、水を入れ、泥を作り、インターネットで調べ・・・1回め2回めはうまくいきました。
けれど、肥料を使わないといけないとか、除草剤を撒かないといけないとか・・・本当に除草剤や肥料が必要なのかを実際に確かめたく、実験的に5年間、肥料をやらなかった年、除草剤をやらなかった年など、毎年研究をしてきました。
そして今年が6年目です。
それでもまだ全然知識はないので、日本で有名な農業をされている方、土地に関して詳しい方たちを招いて勉強させてもらい、まずここにシンボル的な田んぼを作るつもりです。
今後食糧危機が来た時に、まず土をがあることが重要なので置いておきたい。
そしていろんな農業をすることで食料を作る知識も得て、土地も必要な広さを確保して、今後何があっても、行きていけるような活動をしたいと思っています。

これまでは観光客の人を招いて、無人島に行ったりシーカヤックをしたりという自然を相手にした楽しい仕事をしてきましたが、これからは東南海の地震に向けて防災についていろいろやってくべきだと感じています。
例えば火をおこすにしても、ライターでしか火を付けられない僕たちが、レンズで火をおこしてみたり、水道が止まった時に水を得る方法を探したり・・・サバイバル術を多くの人に伝えられるような、自然学校のプランを作っていきたいと思っています。