FM三重『ウィークエンドカフェ』2016年7月2日放送

今回は『亀山市観光協会』事務局長の山内喜隆さんと『関宿「関の山車」保存会』事務局長であり、『関宿まちづくり協議会』会長の浦野明博さんがお客様です。
『関宿祇園夏祭り』は、関の人が待ちわびて居るお祭りの1つ。
子供たちはこの日を迎えるまで、祇園囃子の練習をし、大人は山車(やま)や神輿の手いれをします。
忙しいけれどこの準備期間が嬉しい。
山内さんと浦野さんにとって、このお祭りはどんなお祭りなのでしょう?

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宿のみなさんが一番ワクワクするのが『関宿祇園祭』

山内 やはり関宿で一番の夏の行事なので、みなさん浮き足立っていますね。
小さな頃から祭りというとワクワクしますし、神輿のあとを追いかけたりしましたね。
夜はまた、山車の後をついてまわったり。
夏休み前の一番のイベントでした。

僕ら若いころは神輿を担いでいたので、それまでの準備も大変でした。
しかし当日、町中を練ると、それまでの苦労がいっぺんに報われるので、非常に楽しみでもありました。
今年は7月16日(土)〜17日(日)に開催。
関神社の祭礼は本来15日〜16日ですが、出る人の都合や子どもの夏休みの関係で、例年は7月20日過ぎなんですね。
今年はちょっと早めたので、本来の日に近づけました。

『関の山』の語源となった『関の山車』。
祭りが近づいてくると、子どもたちを中心にお囃子の練習などで、夜には太鼓や笛の音が聞こえてきます。
それを聴くと夏の訪れと夏祭りが近づいてきたことを感じますね。
日が長くなりましたが、夕暮れから練習の音が聞こえてくるのは、やはり良いものです。

 

の山車の由来

浦野 山車と書いて『やま』と読むのは、先程山内さんが話していたように『関の山』の語源となっています。
昔は16台、この町筋に山車があり、ごった返してもう目一杯でどうにもならない・・・ということから『関の山』という言葉ができたと。
元禄年間から開催していますので、もう300年以上になる伝統的な行事です。
現在残っている山車は4台。
たった4台で関の山ですわ(笑)。
保存していくのに目一杯な関の山ということで。
十数年前に4台となるまでは、1つの山を13軒の世帯で管理していて、修理費なども、そこの負担でやっていたんです。
しかしこれはもう、個々での負担が大きすぎると、12年前に『関宿「関の山車」保存会』を発足しました。
4台の山車を、仲良く一緒に保存していこうと。
それから、関の山車の夏祭りに『祇園夏祭り』と、『祇園』という言葉を入れたことによって、お客さんもだいぶ増えたんです。
これを活性化につなげていこうと動き出し、ようやく3年後の2019年に『関の山車会館(仮称)』が建つことになりました。

現在、普段は4つの各地区にある『山車倉』というところに保存していますが、山車倉自体が傷んできたことと、山車の修理が非常に大変なので、山車会館を作って、そこで修理し、さらに子どもの練習場としていきたいと思っています。

幼稚園や小学校でも、祇園囃子を伝える時間を作ってもらっていますが、これからはそこでできるな、と、楽しみですね。
祭りを盛り上げるため、会館が完成するのを、みんな待っています!

 

宿の山車の大きな特徴は3つ

浦野 飛騨高山や京都のように絢爛豪華ではなくて、素朴だと感じます。
本当の地のままの山車であること。
大きな特徴の1つとして、山車が土台から上が回転ため、ぐるぐる競争して回し合うこと。
これは全国的にも珍しいです。
おそらく、かつては16台あったので、バックできなかったため、土台のところで回転してバックしたのでは、と言われています。
その様子もみなさんから好評を得ています。
2つめは祇園囃子。
よその囃子のようにカンカン音を上げるのではなく、本当の祇園囃子なんです。
昔の京都のお公家さんが、ここに来て書いていったという祇園囃子が、そのまま残っていて、笛太鼓でお囃子をします。
中でも小太鼓は、小学校低学年の女子と決まっています。
音色が独特で、他には残っていないと思います。
3つめ。
実はこの祇園囃子、行きと帰りで音色が違うらしいのです。
私は音痴なので全然わからないのですが、専門家によると、音色も違う。
どこの山車も「自分のとこの音色が一番や!」と言いますね。
独特の個性があり、この3つが最大の特徴だと思います。

 

車唄は『鈴鹿馬子唄』が元になっている

浦野 祗園囃子に『山車曳き唄』というのが入るんです。
これが面白いので、今、それを全部整理している最中なのですが、すでにもう67もあるんですよ。
子どもたちが祇園囃子をしている時に「ヨイヤー!」と言ったら、男衆がガーッと山車を曳いて、この唄を歌いながら行くと。
それぞれいろいろな唄が残っていて、この本をみると、表向きの唄と裏向きの唄がだいぶ入っています。

山内 これが関の面白いところで、普通、神輿は掛け声だけなんですが、こちらでは神輿も山車も唄を歌いながら練り歩くんです。
そこで基本になる文句が『鈴鹿馬子唄』。
先程浦野さんが言っていたように、関宿のいろんなことを歌いこんだ唄が、いろいろあるんですね。
それもまた人それぞれで、自分はこの唄が好きとかあるんですね。
乗ってくると一人で先に声を出して、自分が音頭を取っていくという。
今もそれはますます盛んになっていて、我こそは!という感じです。

『坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る』あたりを出だしでやりますが、その後は自分の好きなものをダッと!

山内(唄)
浦野(合いの手)

浦野 私が好きなのは『関の地蔵』

浦野 (唄)
山内(合いの手)

浦野 こういう面白いフレーズもあるんですよ。
『お前待ち待ち 蚊帳の外 蚊にくわれ 三八 茨の中までも』
裏の歌なんです。

山内 宿場の唄でいくと、
『いやでござるぞ 鍋島薩摩 五つ止まりに七つ立ち』
というのがあります。
薩摩や鍋島藩は遠いので、参勤交代の路銀を稼ぐために宿場へ入ってくるのが夜8時と遅く、朝は4時に出て行くんです。
宿場の人にとっては、夜遅くに受け入れ、朝早くに出さなきゃならないわけです。

 

の山会館の構想

浦野 普段は4つの各地区にある『山車倉』というところに保存していますが、山車倉自体が傷んできたことと、山車の修理が非常に大変なので、山車会館を作って、そこで修理する。
さらに子どもの練習場としていきたいと思っています。
幼稚園や小学校でも、祇園囃子を伝える時間を作ってもらっていますが、これからはそこでできるな、と、楽しみにしております。