FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年1月28日放送

今回のお客様は『株式会社地域資源バンクNIU』代表取締役の西井勢津子さんです。
「にう」と言う会社の名前、今でこそ会社のある場所は多気町丹生(にゅう)と呼ばれていますが昔は「にう」と呼ばれていたこともあるそうです。
この地域に会社を作るんだったら、昔、親しまれていたこの名前を使おうと思い、「にう」となりました。
地域資源と名の付くものはなんでもプロデュース。
多気町には、その地域資源がたくさんあります。

域資源が好き

私は地域資源が大好きで、「地域資源」と名のつくものであればなんでも応援したりプロデュースしたいと思っています。
今行っている事業の一つは『自転車の町プロジェクト』。
あるとき「道こそ資源だ」と気づき、古くからの道を復活させてマウンテンバイクのコースを0から作ったり。
もうひとつは飲食店。
厨房の中に入って腕を振るう人たちが地域の人たちで、人資源を活用してみなさんが輝くステージを作っています。
「地域資源」と名のつくものは、なんでもプロデュースできるのではないかと思い、かかわらせてもらっています。

 

気町との出会いはご縁

山間の小さな町ですが、『多気』の文字は「たくさんのエネルギー」と書きますよね。
その通り、ユニークですごいエネルギーに溢れた人がたくさんいます。
そんな人たちの背中をちょっとだけ押してあげたら、みるみる本領発揮する人たちがたくさんいるはずです
誰かが何かをしていると、「自分でもできるかも」と思うのではないでしょうか。
私も名古屋でコミュニティービジネス起業を支援するNPOに長いこといたため、地域の課題を解決するために、仕事として興す、会社としてやっていく、そういう人たちに囲まれていました。
しかし地域の課題を仕事を通じて解決するのは、実はとても難しい。
そういうところに自ら飛び込んでいきながらも、キラキラ輝いている人たちがたくさんいて、それで私もできるかな、と思ったんです。
多気町を選んだのは、ご縁ですね。
「地域資源大好きなので空き家を借りて事業をしたいんです」と8年前に騒いでいたら、それを真摯に受け止めてくれた方がいて、実現できたんですね。
名古屋に住んでいたときから、三重県のどこかでと思っていて、県内のいろいろな地域に話を聞きに行っていたのです。
やはりご縁ですね。

 

転車の町プロジェクトでマウンテンバイクのコースを作る!

きっかけは、道というものをこよなく愛する自転車大好きな方がいたこと。
それでここが自転車愛好家の宝の山だということがわかりました。
マウンテンバイク愛好家の今の社会的な状況として、締め出しを食らっている人が多いんですね、全国的に。
勝手に人の山に入ってコブとかを作って遊んじゃう人たちなので、大手を振るって山を使わせてもらえる機会があまりないのです。
こちらからすると逆にそれがニーズ。
役場の人たちも賛同してくれて、マウンテンバイクのコースを作ろうということになり、『自転車の町プロジェクト』が動き出しました。
今、多気町では自転車の大会なども開催されています。
自転車というものがわかりやすいツールで、それを使って森で遊び森を楽しむ、ということをこれからも仕掛けていきたいなと思います。
かかわり方はいろいろ。
『自転車の町プロジェクト』は、町民のみなさんを危険が伴うマウンテンバイクに乗せようとしているわけではありません。
子どもに夢を託したり、あるいは製材所の方がマウンテンバイクをかける棚を木製で作り、それが事業となってけっこう喜ばれたり。
そういうかかわり方や接点は無数にあると思います。
きっかけを作って、色々なところに波及していくのはとても楽しいことです。

私はさみしがりやなので、自分1人でビジネスをするよりも、いろいろな点がたくさんできた方がうれしいですね。
最終的に自分たちの幸せを考えたとき、どれだけのスポンジの山がたくさんあるかだと思うんです。
自分が動けないときや年をとって寝たきりになった時でも、スポンジの接点をもらって、自分の豊かな人生の中で、お世話になっている人たちに助けてもらうことが、幸せを感じられることなんじゃないかな。
1人で商売するのではなく、沢山の人たちと分かち合って楽しい老後を過ごさせてもらいたいです。
事業は1人でやるもんじゃないです。

 

ラダボールはやりたいことを言えない人たちが集まる場所にしたい

料理が大好きな人たちを集め、月に1回から2回シェフとして、責任を持った形でお店を開けてもらうというのが、私たちの飲食店『サラダボール』の特徴な
プロでない人がほとんどです。
中にはずっと料理畑で来た人が、身体を悪くされて、自分がこの先どんな人生を送ったらわからない、と思った方が『サラダボール』の戸を叩いて下さって。
今は無理のない範囲で、自分使えない手の代わりになる人に助けてもらうなど、周りの人のお世話になりながらお店を回しています。
そんな姿を見ると、たまたま飲食店だっただけで、人の輝く場所はどんなふうにでも作れるんだなと思いました。
私は料理を作ることができないので、用務員のおばちゃんんみたいな(笑)。
シェフは多気や丹生の方たちだけでなく、いろいろなところから来てくれます。
「こんなところで自分のお店が出せるなんて!」みたいな感じで。
グループでシェフをしに来る人もいるし、家にいてもすることのない定年退職したお父さんを連れてきて皿洗いをしてもらって、お母さんは張り切ってシェフやってるみたいケースもあります。
いろいろな人生の縮図を見させてもらっていますね(笑)。
ここに来る人は幸せな人たちだと思います。
自分の意志で立ち上がって、自分の意志でこれをやると決めて、家族の応援をもらって一日ここに来てるんですから、。
いろいろな困難を乗り越えて、この日のメニューを出していると思いますよ。
でも、お家から出てくられない人、何かの制約があってやりたいことを言えない人たちもいると思います。
その人たちに対して、このお店が誰でも来られる受け皿になれると良いですね。
私の知らないところでシェフ同士仲良くなっていたり、シェフとお客さんがいつの間にか食事に行っていたり・・・輪が広がって、ミラクルの連続です。

 

来の不安を取り除いてくれた田舎暮らし

長い時間がかかりましたが、私は「暮らしと働く」を同時に変えた人間です。
8年前に引っ越してきたときは、まったく今の状態を想像していませんでしたが、やっぱりいいなあと思います。
この町が大好きだし、この仕事をすることでたくさんの人生経験をさせてもらいました。
私、名古屋に住んでいた時は、とても不安だったんです。
なんでもあるし、仕事もたくさんあって刺激もたくさんあるんですよね、都会って。
でもとても不安で。
何が不安だったかというと、全部お金で解決しなきゃいけないということ。
はじまりがすべてお金で、子育ての相談なども、仕組みにすべてお金が絡んでいるんです。
困ることがあっても、お金を払わなければ何も得られないのかと思ったら、いてもたってもいられなくて。
それで田舎にひっこそうと思ったんです。

こちらに来てみたらやはり、お金じゃない部分で、とてもたくさんのセーフティネットが広がっているんですよ。
それを実感した時に、仕事もないし刺激がいと思われがちだけど、私からすると、たくさんスポンジの上でぬくぬくさせてもらっているというか、将来が不安な気持ちから開放されました。
薪ひとつ取ってもそうですよ。
私の家は薪ストーブが暖房器具なんですが、ストーブにあたっていると自分たちが油田を手に入れたくらいの気持ちになります!
エネルギーを自分で山から採ってきて、暖が取れる!
エアコンがあったほうが便利だと言う人もいるかもしれませんが、私にとっては薪エネルギーに、ものすごい安心感があります。

 

ろいろなチャレンジができる場を作っていきたい

生き方働き方を通して、それに寄り添いながら誰かの希望になれたらいいなと思っています。
これじゃないとダメだと思わずに、いろいろなチャレンジができたり、いろんな自分の可能性を掘り下げられるような、そんな場を作っていきたいんですよね。
そしてそんな、チャレンジをしたい、背中を押してもらいたい人がたくさんいると思います。