FM三重『ウィークエンドカフェ』2017年9月23日放送

『上野天神祭のダンジリ行事』は2003年に国指定重要無形文化財になり、去年はユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の1つとして登録されました。
今年もお祭りまであと1か月。
準備も始まりました。
今年は日程が変わって、10月21日に宵宮、22日が足ぞろえ、23日本祭となりました。
神事は変わらず25日に行われるそうです。
絢爛豪華、贅をつくしただんじりと百数十体の鬼行列、秋の上野のお祭りを、『上野文化美術保存会』事務局の木村佳三郎さんに、じっくりとお話ししていただきます。

囃子が上手にできたときの達成感

だんじりの上に乗っているのが、子どもで15人、大人は20人くらい詰め込まれるんですよ。
笛を吹いている大人の膝の上に子どもが乗っている状態・・・折り重なった状態の中で、やっぱりひとつのお囃子をできた時の達成感はいいですね。
上野の南北に通っている『銀座通り』というのがあるんですが、それを本町筋、二の町筋、三の町筋を横断するとき、上からふっと見下ろすと、ずっと向こうまで両側に人がいるんです。
普段ふざけている子どもたちも、そういう時はキッと背筋を伸ばします。
あの感じがいいんでしょうね。

 

り行列について

まず最初に天神さんの『わたり』があります。
神輿や行列がズラッと並び、それに続いて『上野天神祭ダンジリ行事』の一番先頭に立つのが大御幣。
いわゆる神社でするようなお祓いで、高さ5mほどで重さもだいぶあります。
それを宮司さんがやるような雰囲気で街中を清めてまわります。
その後、鬼さんが続きます。
鬼は前半と後半2組に分かれていて、三鬼会が上野相生町、上野紺屋町、上野三之西町、この3つの町で三鬼会をつくり行列しているところと、上野徳居町というところと2つの鬼が連なっていきます。
その後に『だんじり九町』の九基のだんじりが静々と優雅に穏やかに進みます。
祇園囃子などがコンコンチキチキと鳴り、一丁だけ三味線と鼓が入ります。
あれが一番優雅ですね。

今、鍛冶町の軒数は12軒。
高齢化が極端に進み、子どもはいないし、大人も高齢者ばかり。
20年ほど前『上野文化美術保存会』の若手を集めた『おまつり同好会』の出前講座をしていたときに、鍛冶町が危機的状況だと聞き、募集をかけたところ、けっこう方々から人が来てくれました。
今も京都から鍛冶町のお囃子をしたいと、来ている人もいます。

 

りを見るなら2日目の夜もいい

今年から曜日変更になり、10月21日の金曜日からから、23日日曜日の3日間になりました。
20日はだんじり会館に入っている三基を各町に連れて行きます。
21日は飾り付けを終えただんじりを出して、夜はお囃子の生演奏をしたりします。
22日は『足揃え』。
鬼さんも予行練習で三之町筋を歩いたり、だんじりも動かしたりしてみます。
やっぱり手作りのものなのでしばらく動かしていないとね。
二代目らしいですがそれでももう180年〜200年ほど経っているんです。
大修理はしていてもクセがあり、まっすぐ歩かないので、実際に動かしてみて今年のクセを見ながら、動かします。
夜は提灯を140個くらいつけてゆらゆら揺らしながら、上でお囃子をやっているのは、なかなかいいですよ。
できれば全日程見てほしいですが、一番面白いのは2日目の夜かもしれません。

夜店は銀座通りにほぼ集まっていますが、銀座通りにはほぼ行きません。
銀座に隣接した東町、魚町、鍛冶町、児玉町。
僕らは橋の方の向島町、西町、中町に行く・・・銀座を南北に行くというのは夢なんです。
行ったことがない。
この、道が狭いところを優雅に通るのが、このお祭の良いところですね。
碁盤になっているので、辻を曲がるところは大変です。
一応車輪は4つあるのですが実は5番目の車輪があり、それをジャッキやネジでジャッキアップし、3輪状態にしてぐるぐるっと回るんです。
交差路のところを見ているとだんじりが回るのに合わせて、提灯が舞って綺麗ですよ。

 

どころの一つは、だんじりの豪華さ!

祭りの見どころはそれぞれですが、各町のだんじりは豪華で、上野が町人文化の町だったことが伝わってきます。
装飾品や金具の模様には中国の偉人や幸運を招くという霊鳥獣、虎や象、麒麟などが描かれています。
私が住んでいる向島町には、『四季耕作の図』というのがあります。
この『四季耕作の図』、絵や屏風絵はたくさんあるのですが、刺繍にしたのは日本でここだけではないでしょうか。、
田起しして、籾蒔きして、苗代を作って田植えをして、草取りをして稲刈り。
さらに脱穀して米倉の中に入れるまでが刺繍で描かれています。
金糸でキンキンなので太陽の下で見るとなかなかすごいと思います。
祭は夜が良いと言いましたが、やはり昼も見てほしいですね。
自分の町のだんじりはよく見ますが、隣の町のだんじりについて聞かれたら、わからないことだらけです。
祭の日はずっと自分のだんじりのところにいますので。
例えば囃子座の上の方の四隅の下、天幕という幕がかかっているのですが、あの中は日が当たらないので傷まないため、200年以上たったものばかりです。
囃子座に上がって初めてわかるのが、裏地がすごいということ。
裏地も織物なんです。
中で見上げると格子があり、全部金箔で絵が描かれているので、乗った人が楽しめます。
下からは見えないんです。
これだけお金をかけたということは、当時はとても栄えていたんでしょうね。
服部川から木津川に行って、現在の木津川市から船で交易があったらしく、組紐や着物の小物などが京都に行っていたそうです。
だからこそ、こんなとんでもないものを作れたのだと思います。
おそういえば、囃子なども京都の影響を受けていますね。

 

行列が始まったいわれ

藤堂高虎公が眼病の際、松本院の山伏が大峰山に参拝祈祷すると効果があったため、報謝として能面が下され、これを被って練り歩き大峰入りを模したことが、上野天神祭りの鬼行列の元となったとされています。
三鬼会が使っている面は能面で、うち、角が生えているのは1面だけ。
それが大御幣の後に来る悪鬼なんです。
今で言うと悪は悪いという意味なんですが、江戸時代での『悪』は『強い』という意味だったんですね。
力持ちで剛力の人というか。
そういう意味で、『強い鬼』として町を清めて、悪霊退散をするのです。
その後に続くのは、すべて能面。
鎧をつけた鎮西八郎為朝がいますが、あれは三鬼会の後に来る徳居町の行列なんです。
あれも張り合っていると思いますよ。
鎮西八郎の末裔に当たる人が徳居町に住んでいたらしいので、三鬼会に負けてられるかと。
鎮西八郎も島流しにあったりとご苦労があり、そこの鬼を退治したという伝説があるので、鬼を連れて帰ってきたと・・・誰か仕掛けをした人がいるんでしょうね。
だから徳居町の行列には、能面もいますが鬼がズラッと並んでいます。

 

長した子供たちが祭りにまた携わってくれる

昨年のユネスコの決議の、上野天神祭に関する部分を読んでみました。

まず、お囃子で参加する。
鐘をやって太鼓をやって、一旦途切れるけど笛の吹き手として参加。
一旦途切れるても、今度はまた、祭りの運営の方に回る。
時代を越えて先につながるという仕組みが、上野天神祭ではできている・・・と書かれていました。

考えたこともありませんでしたが、なんとなくそんな仕組みになっているんですね。
鐘や太鼓をやった子どもたちが中学2年で降りるのですが、地元に就職したら、戻ってきてくれるんです。
今度は笛を吹くよと。
そういうのが来てくれた時は、そりゃ嬉しいですねえ。

伊賀鉄道に乗って上野市駅で降りれば、10月21日から23日まで、華やかな『上野天神祭』を楽しむことができます。
ガイドブックを片手に鬼行列、だんじり、そして祭りを守る人々の姿をしっかりとご覧ください!