FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年8月18日放送

伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも・・・
伊勢音頭に唄われたようにかつて、神宮への参拝は庶民の夢でした。
そして江戸時代末期、1830年には500万人という人が伊勢を訪れたそうです。
今回は『伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館』、館長の世古富保さんがお客様。
伊勢参宮のこと、古市の町のことをお話ししていただきます。

け参りの人にとって、柄杓は命の次に大切なもの

江戸時代は、いろいろな参拝の仕方がありました。
一番の主流は『御師』が地方の檀家をまわって、村々に『伊勢講』というのを作り、その代表者の方々のお参りするというもの。
しかし他にも『抜け参り』という面白いお参りの仕方がありました。
大工道具を持って、親方に「これから仕事に行ってくるわ!」と嘘を言って、お伊勢参りをするのが流行ったそうです。
帰ってくると叱られるのではなく、よう行ったなと褒められたそうです。
『抜け参り』は黙認されていたんですね。
江戸時代、女性や子どもは旅がしにくかったため、柄杓を持っていくと関所がフリーパスでした。
通行手形になっていたんですね。
錦絵を見てもらえるとわかりますが、みんな腰に柄杓を下げているんです。
通行手形プラス街道の大事なところには施行所というのがあり、柄杓を見せるとお茶やおにぎりなどの施しを受けることができました。
なので、柄杓は抜け参りにあたって、命の次に大事なものだったんです。
一生に一回はお伊勢参りを・・・という言葉がありますが、抜け参りに柄杓は大活躍したんですね。

 

市は精進落としの場所

東海道中膝栗毛に登場する弥次さん、喜多さんも心を弾ませた古市の町。
華やかで活気にあふれた町でした。
古市というところは精進落しといって、神宮に参拝した後に遊ぶ場所だったんですね。
行きに遊んだらバチが当た流るので、帰りだったら大目に見てくれるだろうと。
2〜3日前にアメリカ人が来て話していたところ、教会の横にも歓楽街があったそうです。
でもそれは遊んでから懺悔でお参りをするということで、日本とはまるで逆だねと大笑いしました。
人間の気晴らしの本質は、ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、変わらないんですね。
江戸中期には遊郭がなんと76軒もあり、女性も千人以上いました。
伊勢は日本の三大廓の一つだったんです。
江戸の吉原と京都の島原と、伊勢の古市。
ただ、吉原と古市は大きく違いがあります。
吉原は幕府公認でしたが、ここは神領地として、奉行所は当初遊女追放令を出していたんです。
しかし追放令を出しても出してもお客さんが来るので、やむなく条件付きで黙認することになったようです。
条件というのは、花魁のようにキラキラするのではなく、地味にしなさいというもの。
茶屋ということで、花魁ではなく茶汲み女ということで黙認したんですね。
だから、呼び込みの女性には前掛けをさせたということです。

 

もその時代の面影を見ることができる

伊勢古市参宮街道は、外宮さんと内宮さんを結ぶ道。
およそ4.5kmの街道も戦災にあったため、昔のものは多く残っていません。
しかしここから200mほど離れたところに、200年ほど歴史のある『麻吉旅館』があります。
外観だけは無料で見ることができますし、お紺という芸妓のお墓も残っています。
いろいろな場所には石碑があり説明が書かれているので、それを読みながら歩くのが古市の楽しみ方かなと思います。
数少なくなったとはいえど街道ですので、昔の面影は残っていますし、資料館に来てもらえたら、私が丁寧にわかりやすく説明しますので、ぜひ寄ってください。
先ほど説明した180年くらい前の柄杓には『船場』と書かれているので、大阪の南の方から来た方が実際に使ったものだと思います。
また、歌舞伎の衣装や小道具も展示していますし、妓楼の調度品なども楽しんでいただけるかなと思います。

 

別展『大安旅館』で取り上げた女将、井村かねさんは素晴らしい人

明治4年に『御師制度』が廃止になってから、民間の旅館制度が発達しました。
多いときには古市界隈で14軒の旅館がありました。
文献によると、うなぎ屋6軒、日本料理店6軒、寿司屋4軒。
明治大正期は、まだまだ華やかな時代でした。
『大安旅館』は明治初期から昭和47年まで営業した旅館で、古市界隈でもトップクラス、およそ250名ほどを集客することができました。
大安旅館の女将である井村かねさんは、伊勢のへんば餅の娘さんで、17歳で大安に嫁ぎ、旅館を大きくしました。
とても有名な女性で、写真や書かれた本の言葉を引用したものをパネルにして、資料館に飾ってあります。
かねさんの人間性を謳った逸話もが残っています。
250人も集客できる旅館で、女将が一部屋一部屋挨拶するのは珍しいと。
どんなに忙しくても全部の部屋をまわったそうです。
仲居さんも40人ほどいましたが、結婚すると衣装や小道具を揃えて持たせてやったとか、仕事がない人を雇うなど、雇用も積極的にしたらしいです。
今、地元の方で70代以上の方は、井村かねさんの悪口を言う人は一人もいません。
今回特別展として『大安旅館』を行っていますが、旅館というより、『井村かねさん』を前面に押し出した企画展が、ようやく実現できました。

外宮さんから間の山を上り、平たんな長峰を経て、牛谷坂を下る・・・おかげ参りの昔をしのび、伊勢の町を歩くのもいいものです。