FM三重『ウィークエンドカフェ』2022年3月12日放送

古くから旅人をもてなしてきた三重県の餅文化。
桑名の名物は安永餅。
長く愛されてきた味を守り続けているのが『安永餅本舗 柏屋』の森昭雄さんです。

戸時代の中頃に創業、森さんは九代目

創業は江戸時代の中頃なので、歴史としては250年から300年の間くらいです。
一応わかっている範囲ですと、僕で九代目になります。
はっきりとした創業時期がわからないもので、何年と詠えないのです。
江戸時代の中頃、お伊勢参りが一番盛んになった頃、桑名も宿場町でたくさん人が通りました。
『安永』という川の手前にあり、あまりにも沢山の人が通るので、何か売れるものはないかと思い、餅を売ったのがはじまりと言われています。
昔はもっと楕円形というか小判型で幅広だったそうですが、それがだんだん長細くなっていきました。
それは持ち運びの需要ができたからだそうで、そこで食べていたものを明治時代に入ってからお土産のように使われるようになり、箱とかに詰めにくいということで、だんだん細身になってきたのではないか、と。
しかし、これも諸説あるので、どれが本当かはわかりません。

 

里の渡しの鳥居をくぐれば安永餅が食されてきた

伊勢神宮の一の鳥居が桑名の『七里の渡し』にあるので、それこそお伊勢参りの人たちが、「ようやく伊勢国に入った」と感じられる場所です。
伊勢神宮まではまだまだ距離がありますが、伊勢国という地域に入ったことで、『ハレの気持ち』、お祝いの気持ちでお餅を食べました。
昔、餅はやはり秋の収穫やお祝い事によく用いられたので、ここから伊勢まで、餅が盛んに作られていたのではないかな、と聞いています。
七里の渡しの鳥居も、伊勢神宮の宇治橋にかかっている橋が遷宮の際にこちらに移築されています。
そして七里の渡しにかかっていた鳥居は他の場所にまた移されます。
再利用的な感じですね。
前回の遷宮のときは春日神社という桑名市の神社に、長い間展示されていました。
向こうから新しいのが来るときも、桑名を通っていくので、それも展示されていました。
1月に伊勢に行った方が、お店に寄られることは結構多いです。
ずっとここの安永餅なんやわ、と言われると、とてもありがたいです。
おかげさまで何とか続けられています。

 

べての工程を手作りで行っている

作るときに、香ばしく焼き目がつくように心がけています。
手で作ることができる範囲の柔らかさ…あまり柔らかすぎても造作ができなくなるので、そこそこの感じで。
手作りですので、そんなに量産することができません。
できる範囲でやらさせていただいています。
お餅が一臼二升、それで350本くらい。
およそ20〜30分で上がる感じです。
一番忙しいのは、年末からお正月。
多いときで1日1万本くらい。
本当に、ただただ作り続ける…年に1日か2日のことです。
焼く鉄板は、今は電気で熱していますが、昔はおが屑で熱していたそうです。
餅は最初は機械で搗き、最後は手返しで搗きます
工程は変えていませんし、配合も変えていないので、そんなに昔と変わっていないと思います。
餡も昔と配合は一緒です。
釜もずっと同じものを使っています。
僕の代で約30年ほど、父の代もほぼ一緒の道具で同じように作っていたので、僕が覚えている限りでは何も変わっていません。
作っている人が変わっただけです。

 

が動くのと一緒に餅も動く

地元の人たちが、手土産として使ってくれることがとても嬉しいですね。
何代にもわたってご贔屓にしてくれる人たちがいます。
人が動くときに付いていくというか買っていってもらえるので、本当にありがたいことです。
近場でも、どこかを訪ねるときにちょっと持って行く、みたいな需要が多いのかなと感じます。
隣に大きな会社があるのですが、支店に行く際などにいつもたくさん買ってくれます。
100本とか200本単位で。
ビックリするくらいの量を買ってくださるので、何事かと思います。
従業員さんに配ってらっしゃるようですが、とても喜ばれているようです。
ありがたいですね、はい。
そういう人がいてくださっているおかげで、なんとかやっていられます。
ずっとこのままできたら良いな、と思うだけで、他にあまり新しいことは考えたことがありません。
このまま続けていけるように、だけを考えています。
肩肘張らずにやっていこうかな、という感じです。
ありのままというか普通の感じで続けていくのがベストかな、と思っています。

できれば全部手を使ってできたら良いな、と思っています。
少なくとも僕の代では、それを続けていきますよ。