FM三重『ウィークエンドカフェ』2022年4月16日放送

松阪市飯南町深野(ふかの)地区。
ここには、石垣で区切られた珍しい棚田があります。
この棚田で作られたお米を使って、『飯南』というお酒ができました。
お酒を造ったのは、『酒夢蔵(さけゆめぐら)かわぶ』のご主人、奥逵広志さん。
酒屋のご主人が日本酒を作りました。

元の蔵では断られ、福井県の蔵元が協力してくれた

他の酒屋さんと差別化し、生き残るためにどうしたら良いかということで、『名門酒会』という日本酒の組織に入れらせてもらいました。
全国の酒を扱って、その中でもっと飯南町の町おこしに貢献できないかということで、飯南町酒米をつくり始めました。
それがだんだんエスカレートしていって、米も作りはじめました。
本当は地元の蔵で酒を仕込んでもらいたかったのですが、わずかな量だったため断られてしまいました。
その時、たまたま福井で『花垣』という日本酒を作っている南部酒造場の社長さんとご縁があり、一緒に作ろうということで、秋には穫れたお米を家内とトラックで運び、1月と2月に蔵に入って一緒に酒造りをして、という感じで協力しました。
蔵人さんと寝泊まりを一緒にして、1週間ほど取り組みました。
26〜7年になりますが、20年目でコロナの件もありましたし、一旦休憩という感じです。
年も年ですし。

 

百万石の酒米を作ってもらい、その米を福井にもっていった

深野の棚田でどんな酒米を作ればいいのか?
飯南というお酒をより知ってもらうために何をすればいいのか?…試行錯誤しながら、いろんなことに取り組みました。

お客さんをバスで蔵見学にお連れするなどの取り組みを行っていました。
深野の棚田でお米を作って、田植えをしたり稲刈りもしていたのですが、だんだん少子化で子どもも少ないし、農家の栃木さんにお任せして、作ってもらっています。
何度か福井へ出向いて南部酒造場の社長さんに相談して、三重県なら『五百万石』という酒米が合うのではないかとアドバイスを受けて、その酒米を育てるところからスタートしました。
最初から農家の方に頼みつつ、僕たちも帽子をかぶって田植えをしたり、稲刈りもさせてもらいました。
協力というより、自分が率先して走っていったので、最初は会を作って15人くらいのメンバーで協力を仰ぎながらという感じで。
月1回、ウチの裏で日本酒を楽しむという形でやっていました。

 

初は売れるかどうかとても心配だったが、今は売り切れるようになった

最初は不安でした。
作ったのは良いけど、売れていくのかなと。
売れなかったらどうするのかな、というのが、一番不安でした。
嬉しさよりも不安のほうが大きかったです。
一升瓶にして千本〜千五百本。
その年の米の出来によって違います。
今、二十何年たっていますが、今年の分の日本酒は切れてしまって、先月で火入れの分はすべて売れてしまいました。
先日の土曜日に生が入ってきました。
今年の2月に仕込んだ分です。
それを今、販売しています。
おかげさまで地元だけではなく、名古屋などからも送ってほしいとか、お土産に持っていきたいとか、けっこう評価はしてもらっています。
蔵元さんのお酒が淡麗ですっきりしていますので、どんなおつまみにも合わせられる、すっきりしたタイプの酒です。

 

からないことだらけで大変だったけど、作り手の気持ちがわかった

わからないことだらけで…本当に最初はどうしたらわからないし。
南部酒造場の社長さんが、私をお客さん扱いするのではなく、初めてお邪魔したときから蔵人と一緒の扱いでした。
怒られたときもあったし、行きたくないなと思う年もありましした。
朝早いんですよ。
4時半頃から起きて活動するので…それがイヤでしたね。
ですからお店に来てもらって『飯南』というお酒を買ってもらうと、とても嬉しいです。
27年経って、ようやくスムーズに、品切れするくらいに売れて。
この辺り、最初の頃は鮎がとても獲れたので、鮎の塩焼きと一緒に飲んでもらえると良いな、というイメージでさっぱりしたお酒でスタートしました。
やはり合っていますね。
燗をしてもいけるということで、喜んでもらっています。
南部酒造場の社長さんはけっこう厳しくて、もう少し若いときは本数を増やしたかったのですが、そんなに増やさずにマイペースで売れるくらいが良いんじゃないか、と言われました。
今では足りないくらいになっていますが、それでも良いじゃないかということで、今はやっています。

昔から一人で変わったことをするのが好きだったので、人がしていないことをしたいし。
それが何かというと、自分で米からお酒を作って売る意外ないな、と思ってはじめたことでした。