『ミエてくる』2019年5月9日

2019年の春、三重県伊勢市村松町に鎮座する「村松神社」を訪れました。
村松神社は、南北朝時代に外宮(豊受大神宮)の一禰宜(第一の禰宜)であった村松家行 (むらまついえゆき)卿を祀る神社です。
家行卿は、度会家行(わたらいいえゆき)という名前でも知られる伊勢神道の大成者です。

当日は、氏子さんに境内を案内していただきました(とても勉強になりました。ありがとうございました!)
村松神社は、宇氣比神社の摂社になります。

 

宇氣比神社の御祭神は、主祭神の八王子神(五男三女神)と、合祀された牛頭天王(建速素盞嗚神)ほかの神々です。

 

村松町の大きなお祭りは、2月11日の御頭神事、4月14日の村松神社例祭、7月14日の天王祭、旧8月18日の宇氣比神社例祭です。
案内をしていただいた氏子さんは、御頭神事の神楽師で、伊勢市の文献編纂などにも協力していらっしゃる方です。
宇氣比神社の境内で、目を引くのが「潔斎場」の看板です。
村松町では、御神事を執り行 うにあたっての禊(みそぎ)を今も守りつづけているとのことでした。
禊は、神事の前に身の穢れを水や海で洗い清める潔斎です。
村松町は、斎宮の禊場で 有名な大淀海岸(尾野湊)から東南に続く海岸沿いにあります。
古来、脈々と行われきた、 禊の一端に触れることができ、身が引き締まりました。

 

宇氣比神社の境内には、御頭神社も鎮座しています。
社殿には、御頭(おかしら)さんが大切に保管されています。
御頭さんが御神体で、御頭神事の時にしか見ることはできず、御頭さんの写真撮影は原則お断りしているとのことでした。
次の言い伝えがあるそうです。

「昔、朝早くに神池の海岸に何か赤いものが流れ着いた。
これを乞食が拾おうとすると、火の玉となって沖へ行ってしまう。
またしばらくすると海岸に寄ってくる。こんな事が何度か続いた。
当時の神官の徳禰宜が寝ていると何処からか呼ぶ声が聞こえた。
神のお告げと思い神池の海岸に行くと、御頭さんが流れ着いていた。
マコモを差し出すと御頭さんはマコモに乗ってきた。
恐れ多いと神社に納め、御神事が行われる ようになった」

その御神事が、受け継がれて、現在に至っています。

 

宇氣比神社では、氏子さんが心を込めて手作りした絵馬を求めることができます。

 

村松神社は、宇氣比神社から徒歩3分ほどのところに鎮座しています。

 

家行卿は、鎌倉時代から南北朝時代に生きた人(1256~1351)で、村松町に住んでいました。
家行卿の曽祖父が村松に居を移した時に、苗字を「度会」から「村松」に改めたそうです。

 

家行卿は、「初めに仏ではなく神がありき」と論理を展開して伊勢神道を大成。
著わした 『神道五部書』はその後の神道に大きな影響を与えました。
身近なところでは、『神道五部書』の「倭姫命世紀」は元伊勢伝承で引用されることが多く、私たちを元伊勢ロマンに誘います。

 

郷土の偉人を顕彰するために、1938年に造営されたのが、村松神社です。
2018年1月には、五度目の御造営が行われたそうです(氏子さんから1月4日の御造営奉祝祭の写真を見せていただきました。八雲琴の奏楽も行われたそうです)。

 

斎宮の時代と南北朝の時代に想いを巡らせながらの参拝でした。