三重テレビ『ゲンキみえ生き活きリポート』2020年4月12日放送

早期退職後、熊野古道の清掃活動を行うボランティア団体の活動に参加してきた向井弘晏さん
自宅のある熊野市大泊町に登山口がある熊野古道・観音道の整備を一人で始め、
山頂にある泊観音の朽ちたほこらの撤去作業等にも取り組んできました
歴史家としても活動し、近所の家で保管されていた「善根宿」に関する資料を三重大学と協力して研究
県の文化財に指定される発見となりました!

熊野市、いにしえの歴史街道・熊野古道をたったひとりで整備し、その歴史を後世に語り継いでいる人。
それが熊野古道を守り、語り継ぐ向井弘晏さん。

 

こちらの道は、熊野古道伊勢路の『観音道』で、世界遺産になっています。

 

平成15年当時は、石が散乱し非常に歩き難い状態でした。
平成16年には石を取り除き赤土道にしたが、雨で流され。
その後、向井さんが石を積み、古道に沿うような石畳になりました。

 

観音道には大泊側の登山口から1㎞先に泊観音があり、途中西国三十三番札所にちなんで建立された三十三体の観音像と馬頭観音が祀られています。
向井さんは月に2~3回、観音道の補修・清掃作業を行い、石仏に花を手向けています。

向井さんは、大泊区長をはじめ、『みえ熊野学研究会』運営委員、『熊野市文化財』専門委員、そして、『熊野古道語り部友の会』のメンバーを務めています。
56歳でサラリーマンを早期退職後、健康の為にと熊野古道を歩き始め、61歳のときに古道の保全・整備をしていたボランティアグループ『だんだんの会』の活動に参加。
しかし、整備場所が松本峠中心であったことから、向井さんは一人で、自分の暮らす地域に近い観音道の整備を始めました。

 

この辺りは平成8年、山主が観音道の木材を伐採し新たに植林されましたが、年月を経て、植林した木々が生い茂り古道が荒れ放題になったため、向井さんが整備。

 

約20年かけてこの景観となりました。

「古道も自然の力だけではなく、人が手を加えて維持をしていると知っていて欲しい」

と、向井さん。

 

泊観音に到着しました!
かつて比音山清水寺と呼ばれ、古くから近在の人々が観音講を作り足を運びましたが、昭和39年廃寺となり、千手観音像は麓にある清泰寺に移されました。
今は、向井さんが寄進した観音石像が、かつて観音像が祀られていた岩屋に安置されています。

 

平成17年に朽ちた観音堂を撤去。
平成26年には岩屋を覆っていたお堂が朽ち、語り部仲間や地域住民、学生ボランティアと協力し撤去。
現在は洞窟の中に観音像は祀られています。

「土地の人と仲間、学生ボランティアが一緒になって作業してくれました。
沢山の人の応援があったからできたことです。
私一人ではできないことですね」

と、向井さん。

 

向井さんは熊野古道にまつわる地域の歴史を調査、研究し、数々の書籍も出版しています。
そんな向井さんが発見したものが『若山家蔵「熊野街道善根宿納札」』。
『善根宿』とは、江戸時代から明治にかけ、諸国行脚の修行僧や遍路、貧しい旅人等に道沿いの有力者等が無料で宿を提供し食事などを提供した家のこと。
お金のない巡礼は宿泊提供に対する感謝の気持ちとして善根宿にお札を納めたのです。
納札を集めると火事災難から逃れられるという言い伝えがあり、善根宿では屋根裏等で保管していたと言われています。

 

「退職してから、地元である大泊の歴史を調べていたところ、平八州史さんという私が尊敬する郷土史家による、この辺を全部丁寧に書いた資料がありました。
それを調べていったところ『仏の長兵衛、善根宿してわらじ・草履を寄付した』と…。
江戸時代から明治にかけて善根宿を務めた若山家にあたりをつけて訪ねた所、屋根裏で発見し手つかずの納札の存在を知らされ、屋根裏から下ろしました」

 

三重大学の塚本明教授が確認し、熊野古道沿いでは他に例のない、善根宿に関わる貴重な資料であることがわかったため、向井さんも所属する熊野古文書同好会全員が、三重大学と協力し資料の整理や解読、データ分析の作業にあたり、2年かけて完成しました。

 

納札には住所・氏名・年月日・参拝地等が記されていて、当時、全国各地から巡礼が訪れていたことが読み取れます。
発見された善根宿の納札(のうさつ)は、三重県の有形民俗文化財に指定。
向井さんはその後、県内外から声がかかり、講演を行うなど、熊野古道の歴史とその魅力について語り続けてきました。

 

定年後に古道整備を始めた夫について、妻の真紀子さんにお聞きしました。

「意外でしたけど、今振り返るとやっぱり古道に魅力があったんでしょうね。
そして、熊野が大好きだと思います。
もう高齢になってきて、かなり心配で、作業に出てく時は気をつけてねと言っていますが、返ってくる返事は『うん』ぐらいかな。
やろうと思う間は続けて欲しいと思います」

最後に、向井さんに古道整備に対する思いをお聞きしました。

「私はただ、泊観音に来て歩いている人が、快適に歩いてもらえるように、との思いでやっています。
『お前良くやっとるな、ご利益あるだろう』とみなさんによく言われるますが、私もご利益って一体何だろうと思いました。
思い至ったのは、私が元気に、毎日ここへ来て整備できるということがご利益なんだろうなということでした」

熊野古道を後世に残したい。
向井さんの取り組みはまだまだ続くに違いありません。