FM三重「ウィークエンドカフェ」2011年5月14日放送

松原豊さんとお会いしたのは、今からちょうど一年前。
村の記憶』の写真展を終えられたばかりの頃でした。
そして、その時にお話を伺った『村の記憶』がいよいよ6月、本になるんです。
約400枚の写真から89の作品を選びました。
どの写真にするのかめちゃめちゃ悩んだそうです。
そりゃそうですよね。どれもが大切な作品です。
松原さんは写真を撮るとき、風景の写真でも必ずそこに人の生活があることを感じさせるように心がけています。
お風呂場の歯磨き粉や電信柱、プラスチックの樽のふた。
このアイテムたちは、いつの時代に撮った写真かを教えてくれます。
そんな松原さんのエッセンスがいっぱい詰まった写真集「村の記憶」は6月1日に月兎舎から発刊です。

■写真集『村の記憶』発刊を迎えて・・・

「写真展」と「写真集」は全く別モノなんだな、と思いました。
写真展は空間の中で立てるので、その場・・・現場で『村の記憶』の空気をつくるんです。
対して写真集は、ひざに置いてめくるでしょ。
めくりつつ物語をひもといて・・・『村の記憶』の世界に入って、どこかに行って旅をして欲しいです。
パラッとめくった瞬間に「こんな場所あったよね!」と記憶の信号が走って、共感してくれたら嬉しい!

三重県内の人はもちろん、県外の人にも見てもらって共通の「ふるさと」の記憶を探ってもらって。
写真展の「空間」と違う楽しみ方をしてもらえると思っています!

また、本は残るでしょ。
家のどこかに置いてもらって、気が向いたときにぺらぺらとめくってもらえたら。
メディアを介さず、すぐに見られるのも『紙』という媒体の魅力ですね。

■撮影時、一番心に残っているエピソードは?

旧勢和村の道路沿いで、たまたまお葬式をしている家を通りがかったんです、車で。
いったんは通過したんだけど、どうしても気になってね。
二回・・・三回行ったりきたりして迷っているときに、

「おれ、村の記憶を取っているんだよな。これを撮らないでどうするんだ」と。

無理を承知で理由を話したところ、喪主さんが了解してくださって、写真を撮らせていただいたんです。

はっきり言って非常識で、タブーを犯したことはわかっています。
でもこれが、村の記憶と出会った原形のシーンです。
出会ってしまったお葬式、これもまた村の記憶のひとつ。
おそらくあの時、声をかけてなかったら、いまだに後悔していたと思います。
あのときあの瞬間に、僕はひとつ、世界を越境できたんです。
親族の人には、今も本当に感謝しています。

■人生の一大事!?

そんな、写真集発行の準備をしている間に、交通事故に合いまして。
車同士の正面衝突です。
意識を失って、気がついたら病院に。
最初は「生きている、ラッキー!」なんて思っていたんだけど、結構すごい事故だったらしく、ホントに偶然が重なって生きていたと聞かされてね。
ちょっと何かが間違っていたら自分はここにいなかった・・・って考え出したら、能天気に喜べなくなっちゃったんです。
正直、聞かなかったら良かったと思いました。
そのうち何となく、今、僕が生きているのは、誰かによって生かされているのかな、と思うようになって。
あ、全然宗教とかじゃないです(汗)
でも、言うなれば『人生パート2』みたいな感じかな。

以来、会う人会う人に対して、漠然と会うのではなく「たまたま会えたんだ」という気持ちがすごくあります。

それで、ようやく復帰できたときに、熊野の桜を撮影しに行ったら、今までと見え方が全然違うんです!
それも時期ももう遅いのに、満開で。
同行の人の「桜が待っててくれたんだよ」との言葉に、胸が詰まりました。
桜を見て、自分が生きていること・・・生きて桜を見ることができた自分を、実感したのかもしれないですね。

■これからの活動は・・・?

熊野のフリーペーパー『熊野ジャーナル』で連載が始まったこともあり、フィールドを熊野を中心にしていくつもりです。
タイトルは『ムロウのくに』。
地名の『牟婁』と空間の『室』をかけています。
言葉の響きが湿っぽいというか、湿度を感じませんか?
日本の原所のものって、湿度を帯びた中で育まれる・・・こう包まれた感じがするじゃないですか。
南下して、日常的な所から見えてくる世界を、画像として紹介したいと思っています。

村の記憶は自分のふるさと・・・記憶の中にある僕のDNAを確認する作業でした。
今度は、それを超えていく世界を残していきたいですね。

Tag