FM三重『ウィークエンドカフェ』2024年3月23日放送

三重県で一番のそば処、いなべ市。
寒暖差が大きいこの場所では2002年からそばの栽培が始まりました。
そして2008年『いなべ市そば打ち同好会 雅』ができました。
今日は会長の杉本光太郎さんにお話を伺います。

の職員から始まり、杉本さんはその仲間に市職員以外で入れてもらった

市の庁舎の中で、いなべが産地のもので、いなべを発信できないかと、いなべ市の有志5人で蕎麦をやってみようと始めました。
農林商工課は農業のこともしますから、一回蕎麦をやってみようと、生産から何からいろいろなことを農家の方に指導してもらい、立ち上げてみようとなりました。
どんな作物でも、寒暖の差が激しいところは良いわけです。
甘みが多いということで。
比較的山間部ですから、夜は結構冷え込みますし昼間はそれなりに気温が上がるので、蕎麦には適しています。
私は『いなべ市そば打ち同好会 雅』ができて1年半くらいで入会しました。
そもそも『雅』は市職員の中で始めたものなので、規約もみんな『職員に限る』というのがあったんですが、私のために規約も変えてもらって、部外では私が一番に入会しました。

 

本さんが全員教えてきた。努力と年月で良い蕎麦を打つようになる

雅には、市の職員のみなさんで構成されるグループと私がリーダーの杉本班があります。
今、私のところの塾に35名います。
ほとんどみな、最初から私が手ほどきした人ばかりです。
天性の素質っていうのは確かにあります。
技術は努力で勝ち取るものと、素質で勝ち取るタイプと2つあります。
若くて才能がある人は、早く上手になります。
逆に年寄りで、技術も素質もないなという人、とてもじゃないけど本物にはならんな、という人も多々見えます。
されど、そういう人でも、2年か3年で見事な蕎麦を打つようになって、3段受かって、『ええそば打つようになったな』ということもあります。
努力と年月。
やはり年月をかけると上手になりますね。
熱心さです。
いろいろな場面で言っていますが、蕎麦を起点に、いろいろなグループと交わって友だちを広げていく、というのが私の考え方。
蕎麦で知り合った仲間が、たまたま籠を作るようになって、籠作りのメンバーが友だちになったとか。
所詮趣味ですから、人の輪を広げていくことが一番じゃないかな、と思います。

 

回しが大切。目標を持ってみんな段位を取るようにしている

蕎麦打ちは、やはり水、水回しが重要です。
粉は意外と、水を嫌うんです。
弾かれるので、それをうまいこと、水の粒子を蕎麦に行き渡らせる・・・というのが一番重要なところ。
あとの、伸しとかそういうのは凸凹であろうと太かろうが蕎麦には変わりないです。
ただ、水回しだけをキチッとしないと、切れる蕎麦になったりいろいろあるので、そこだけはちゃんとしないと。
一人前になるまでに3年かかると言われているくらいです。
切りはもう一週間でできるっていうね。
まあ一週間ではちゃんとした細い蕎麦に切ることはできませんがね。
年に一度、必ず初段から5段・6段までの試験があります。
これはいろいろなものがありますが、日本でいちばん有名なのは『全麺協』という会。
この段位を私たちはやっています。
段位がないと、励まないというか、目標がないでしょう。
ですから段位というのは大切だと思いますね
私は十何年やっているんです。
十何年やっていても、10回打っても自分が納得する蕎麦は3回くらいしかありません。
そのくらい難しいです。
気長にやれよ、とみんなには言っています。

 

こでの出会いが会員同士様々な趣味を広げている。年越し蕎麦はみんなへの恩返し。100人前打つ

楽しくそば打ちをやっていただきたいと思います。
会員のみなさんにもいつも言います。
おかげさまで35人いてもみなさん和気あいあいで楽しくやってもらっています。
また蕎麦を起点にいろいろな趣味、人の輪を広げるということだと思いますね。
当然、年末になると、私も商売やっていますからお客さんもいます。
初心者のときに不良品をどんと食べてもらっているんです。
今思ったら、恥ずかしいような蕎麦だったはずです。
今はちょっと良い蕎麦を打てるようになったので、それの恩返しで、その方々に御礼のつもりで持っていっています。
恩返しに食べてください、と。
正月は、今年は8回打ちました。
15人前×8というと・・・120人前ですか。
朝から打ちっぱなしです。
みなさん、いくら少ない人でも30〜40食は打っていると思いますね。

どんな名店に行くよりも、自分で打った蕎麦が一番美味しいと言います。
蕎麦は本物ですからね。
何も混ざっていない二八の蕎麦ですからね。
美味しいですよ。