FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年10月26日放送

御食つ国、志摩。奈良時代には、若狭の国などとともに都へ多くの海産物を収めていたそうです。
志摩の人々は昔から、この豊かな海の幸と五穀の実りの中で生活を営んできました。
その文化を知る場所が、『志摩市歴史民俗資料館』です。
今回のお客様は、館長の崎川由美子さん。
現在資料館には、志摩の宝物たちが800点展示されています。
しかしこれは、ほんの一部。5つの町が持っていたものを全部あわせると、その数は3万点。ここに来ると志摩のいろんなことがわかります。

今回は、11月から始まる『円空さんと志摩』展を中心に、お話をうかがいました。

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■『志摩市歴史民俗資料館』に来れば、志摩の歴史がわかる!

『志摩市歴史民俗資料館』のある磯辺には『伊雑宮』があり、神領として栄えました。
的矢湾には『風待ち港』として栄えた跡があるし、農業で栄えた地域もあり、山もあって海もあって・・とても豊な場所だったんですね。

そんな『志摩市歴史民俗資料館』では、志摩を知ってもらう工夫を凝らしています。
館内に展示してある年表は、子どもでも見やすいよう、挿絵もいっぱい使っていて、とても楽しいものとなっています。
「ここに来て初めて志摩市のことがわかった」と言うお客さんもたくさんいます。
地域外の方はもちろん、志摩市に住んでいる方もいますね。
年表は、九鬼嘉隆と志摩の関係や、ずっと遡ると志摩市誕生まで・・・長い長いものです。

志摩市の長い歴史を年表にまとめるため、大雑把に飛ばしてしまったところもありますが、これを見てもらうと、ある程度のことがわかってもらえると思います。
志摩のことは知っているようで、知らないことがたくさんありますよ。
例えば、阿児町に住んでいる人が、大王町とか志摩町のことを知ろうと思ったら、ここに来れば大体わかります。

志摩というと海女さんと真珠のイメージがとても強いと思うんですけど、海女さんと真珠の歴史に関する詳しいコーナーも設けてありますので、ぜひ見てほしいと思います。

また、海女さんについては他にも面白い話があるんですよ。
昔、海女さんが暖を取る時に木を集めてきて火を焚くんですが、その時に伽羅の良い香りがしたそうなんです。
驚いて焚き火から取り出して、お殿様に献上したところ、さらに幕府へ行き、さらに宮中へ。
『海女の焚きさし』という名香として讃えられた・・・ということが文書として残っているんです。
これはあまり知られていないので、ぜひ知って欲しく、コーナーを作りました。
ドーマンセーマンが描かれた漁具と、稽古海女と呼ばれた海女着姿の少女たちの写真が置かれた一角です。


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■『円空さんと志摩』展

『志摩市歴史民俗資料館』1周年記念の企画展として、『円空さんと志摩』を11月から開催いたします。
すでに全国の円空ファンからお問い合わせをいただいており、大変楽しみです。

円空さんが志摩に来たのは延宝2年、43歳の時だと言われています。
その時にまず、片田で大般若経を修復します。
その修復した時に見返し絵を描いたのですが、片田で58枚、その後、立神に移りまして130枚の仏様の絵を書きました。
円空さんは仏像を彫ることがほとんどで、絵で残っているものは少ないんです。
生涯で12万体の仏像を彫ろうとして、北海道から、奈良吉野まで行脚いたしました。
特に故郷の美濃や尾張に多くの仏像を残しているます。

『円空さんと志摩』展では、片田の絵と立神の絵を比べて下さい。
描かれている仏さんの数がどんどん減っていて、立神では、最後に1体になってしまっているんです。

この頃、円空さんにどんな心境の変化があったかわかりませんが、研究者によると、この志摩での経験が仏像を彫る上でのターニングポイントになっているそうなんです。
だから彫り方が変わってきて、ある意味、志摩で完成されたのでは、と言われています。
円空さんのファンならずとも、志摩に来る前と来た後を見比べると良いかもしれませんね。

今回、円空さんのものを一同に介して展示するのは、志摩では初めてとなります。
公開するのは仏像が4体と仏画が16点と、ちょっと数は少ないのですが、間近で見られるので、志摩にもこんなに素晴らしい物があるんだ、と思っていただきたいです。
円空さんの仏さんは『ほほえみの仏さん』と言われていまして、癒やされるんです。
普段忙しくしている人も、円空さんの微笑みの仏さんを見に来て、癒やされて下さい。


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■古文書を読む会

今、近世の古文書を読んでいまして、志摩に残された古文書を読むサークルで、毎月一回第3土曜日に古文書学習会を開催しています。

最初みんなで学習を始めた時は、本当にわかりませんでした。
とにかくみんなで毎日見るしかない、ということで、『解読』ではなく『判読』に励みました。
例えば、ある1文字がわからないとしますよね。
そうしたら、上の文字と下の文字を見て、「多分この字はこう書かれているんだろうな」と見当を付けるんです。
そうやって読んでいくと、けっこう当たっていたりするんですよ。
一文字一文字完璧に読めなくても、ダーッと読める時があるので、そういう時は本当に嬉しいです。
達成感があります!
メンバーは現在15人いて、みんな古文書の魅力にハマってしまいました。
読めると、教科書に載っていない地域の歴史がわかってくるので、本当に面白いです。

去年はメンバーと一緒に、地震の古文書を調査して、『安政東海地震と大津波』という本にまとめました。
東北の地震も記憶に新しいですが、波が盛り上がっていくあの津波と同じ様子が、この古文書にも描かれていました。
安政の地震に関して、志摩にはたくさんの古文書が残っていました。


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■ふるさとの歴史を学ぶことの必要性!

私の出身は南伊勢町で、海運と治水の功労者として知られる、河村瑞賢の故郷なんです。
もちろん河村瑞賢の古文書も残されているのですが、残念なことに、故郷にいる時はまったく興味がなくて、読もうと思いませんでした。
今は少し古文書を読めるようになったので、読んでみたいと思っています。

今、私がとても残念なのは、子供の頃に郷土のことを学ぶ機会がなかったこと。
河村瑞賢という偉人がいても、お墓があるよ、偉い人だったよ・・・としか教えてもらっていないのは、不幸だったと思うんです。
だから今、『志摩市歴史民俗資料館』で仕事をしていて、そういうところを、子供や小学生に教えていかないと、と思っています。
故郷を学ぶということは、外に出た時に大きな力になると思うんですよね。